「ロシアの観客にとってまったく新しい作品」日本人陶芸家がモスクワで作品を展示

© Fotolia / Ekaterina Bykovaプーシキン美術館
プーシキン美術館 - Sputnik 日本, 1920, 29.01.2022
モスクワにあるプーシキン美術館では、3月に開催が予定されている「触覚の視覚と非視覚的感覚」という謎めいたタイトルを持つ展覧会の準備が進められている。この展覧会は、啓蒙時代から、現代のコンセプチュアル・アートに至るまでの芸術作品の中に表現される、視覚と感覚に訴えかけるさまざまなコンセプトを紹介するものである。展覧会には、日本の彫刻家で陶芸家の西村陽平さんが参加する。西村さんは、展示作品の制作のため、展覧会を前にモスクワを訪れた。
作品のアイデアは、展覧会のキュレーター、エヴゲニヤ・キセリョワさんとプーシキン美術館を訪れた目の不自由な人たちとの活動の結果、生まれたものである。これに関し、「スプートニク」からの取材に応じたキセリョワさんは次のように述べている。

「今から5年前に、『誰にでもアクセスできる美術館』というプログラムがスタートしました。わたしたちにとって、体が不自由な人たちとの活動というのは、非常に重要なものでした。未だに、目の見えない人になぜ絵画が必要なのかというような意見が聞かれます。しかし、西村さんを含め、多くの国々の仲間たちが指摘しているように、美学というものは、目で見る以外の方法でも伝えることができるのです。わたしは、台湾で開かれた会議で、西村陽平さんの作品を知ったのですが、彼が視覚と触覚の持つ力を同等に捉えていることに感銘を受けました。彼の作品はこれまでロシアで紹介されたことはなく、わたしたちの招待を受けて、モスクワに来てくれたことを大変嬉しく思います。作品はロシアの観客にとってはまったく新しいものです。特に、わたしたちの美術館では彼の有名な作品『焼いた本』 が展示されます。この作品は、目で見、手で触れることができるままで残る、消された記憶の多層的メタファーです」。

西村陽平さんは1947年京都生まれ。東京教育大学教育学部芸術学科を卒業した後、千葉県立千葉盲学校で図工の教諭として勤務し、粘土を用いた立体的な作品作りを教えた。西村さんは、コンセプチュアル・アートのアイデアを基に創作活動を行っているが、その作品はパリ装飾美術間、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館、東京国立近代美術館などに収蔵され、常時展示されている。
モスクワを訪れた西村さんに、プーシキン美術館での展覧会でどのような作品を展示するのかお話を伺った。
西村陽平さん
西村陽平さん - Sputnik 日本, 1920, 29.01.2022
西村陽平さん
西村陽平さん: 美術というのは視覚芸術で、歴史的に「見ることがすべて」だと考えられていますが、本当は見るだけじゃなくて他の感覚もとても大事なんだというようなテーマですね。五感を使って、全身で美術を感じるということが必要ではないかと解釈して、そうした考えの作品に対してプーシキン美術館の方から依頼があったんだというふうに思いました。最初に美術館の方から依頼があったのは、「本を焼いた」作品です。わたしは本をそのまま焼いて残すというような変わったものやってるんですけども、それを台湾の会議でご覧になって、それで連絡をいただいたというふうに聞きました。だいたい、本を焼くこと自体が、紙ですから燃えてなくなってしまう、そういうふうに思われてますけども、本当は焼いても残るという、そういうちょっと変わったことをやっている作品です。それと、もう一つ別の作品の依頼もあって、それが大きな作品なものですから、直接美術館に来て作って欲しいというということで、それで今、粘土で大きな壺みたいなものを作っています。今回は、大きく分けて、その2つの作品を展示することにしています。観客の方には、実際にその作品に触るというか、それを抱きしめていただくことになります。作品を抱きしめて、静かに感じていただくというそんな展示にしたいと思っています。
キュレーターによれば、これは多感覚の彫刻作品である。作品の1つは「粘土の音」と題されたもので、観客に抱きしめてもらい、その音を聴いてもらうというもの。もう1つの作品も抱きしめてもらって、こちらは温もりを感じてもらうというもの。そして3つめは粘土の彫刻を通して、臭覚に訴えかける作品である。
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西村陽平さんが最近、熱中している創作の方向性の1つとなっているのが、「物質の変容」と名付けられるものである。つまり、使われなくなった素材を使って、芸術品を作るというもの。この「物質の変容」について、西村さんは次のように語っている。
西村陽平さん: まず焼き物というのは、もともと粘土という柔らかいものを、熱を加えることによって、石のように硬くするというものなんですが、つまり、物質は焼くことによって普段見ている形から変わるということにとても興味がありました。それで、手始めにコーラの瓶のキャップを焼いてみたのですが、するとそれがボールになったんです。平らな金属のキャップがなんでボールになるんだろう、キャップだったはずなのにと。それがとても不思議だったんです。僕たちが毎日見ているものが、ちょっと条件が変わると全然違った姿を見せるというのが面白いなと思ったんですね。それで自分の身の回りのものを色々を焼き始めたんです。たとえば、石でやったりもしました。石というのは硬いのですが、それを焼くと、溶けたり、弾けたりするんですよ。カップの中に石を入れて焼いたりもしました。すると石が溶けて、(カップを)覆ってしまうんです。そういう作品もあります。そういうことが色々なことをやってみると、いろいろな形で、普段目にするものを焼くことによって全然違った世界が見えてくるんですね。見ているものが本当にこれですべてなのかということを疑ってみることが必要かなと、そういう視点でずっと作品を作ってきて、それで最終的に行き着いたのが本ですよね。本というのは紙なので、燃やすとなくなると思っていたのですが、この紙の形を残したいなと思って、それで最初は紙に粘土を塗って、そして重ねて焼いたりしていたんですね。ところがこの紙の焼いた本をよく見ると粘土を塗っていない部分、そこも残ってたんです。それで、気がついて、粘土を塗らなくても紙も残るだろうというふうに考えて、それで本だけを焼いてみたんです。しかも1200度ぐらいの高温で。日本の焼き物は1240度ぐらいなんですけども、それよりちょっと低い温度です。1200度でぐらいで焼くと、ちゃんと本が残ったんです。その作品が、今回、美術館で展示してもらうものです。辞書であったり、ファッション雑誌であったり、それぞれ紙の質によって出方が違う。文字は消えますけども。ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館のカタログを焼いて欲しいという依頼がありました。それで実際焼いて、残りました。スイスの美術館でやったり、アメリカの美術館にも入っています。大体、本を焼くというのは、歴史的にあまり良いイメージではないですよね。焚書って悪いイメージが多いですね。ただ日本でもどこでもそうだと思うんですが、いま、毎日のようにすごい量の本や雑誌が捨てられています。わたしが教えていた大学の図書館なんかでも学術本など高価な本もどんどん捨てられていて、それはもうすごい量なんですよね。見ていてすごくもったいなくて、それをなんとかしたいと思って、それをたくさん焼いたんです。本を焼くというのは、現代ではかつてとはまったく意味が違うことではないかと思ってます。そして、そうするとまた違った意味で、現代において、何かを考えるきっかけになるんじゃないかなと思っています。最近の新しい作品としては、ペットボトルで作品を作っています。缶コーヒーとか缶ビールとか、それも焼くときれいな作品になるんです。最近はそういうゴミとなるようなものを材料として作品を作っています。最近は材料をゴミ箱から拾ってくることが多いです。いろいろな学校のゴミ捨て場はすごい宝の山なんです。
モスクワ滞在中、西村さんは発達に課題を抱える子どもたちを指導する教師たちのためのマスタークラスを行った。マスタークラスでは、参加者らは目隠しされ、粘土と作品のモデルとなるピーマンが手渡された。そして、参加者らは、それが何であるかを知らされずに、モデルとなるものを手で触れ、視覚を使わず、それを粘土で再現した。レッスン終了後、参加者らは、目が見えない状態で粘土を使った作品を作るのはとても難しかったが、自分の手の感覚に集中することができ、触覚というものがどのようなものかより深く知ることができたと感想を述べている。
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