66年間の露日関係

© AP Photo1956年のソ日共同宣言
1956年のソ日共同宣言 - Sputnik 日本, 1920, 19.10.2022
サイン
1951年、日本と連合国側の国々との間にサンフランシスコ平和条約が結ばれ、署名国と日本の間の戦争状態が終結、被害国への賠償に関しても規定された。ソ連は日本との平和条約への署名を拒否した。その理由の1つは、条約の中に(1945 年のクリミア (ヤルタ)会談の決定に従って)南サハリンとクリル列島がソビエト連邦の主権下に置かれたことを明確に示す文言がないことだった。このような形で、ソ連と日本の間では形式的に戦争状態が継続された。これは双方の利益に合致しなかった。

ソ日共同宣言

1955年6月、ソ連は日本との国交樹立と平和条約締結に関する交渉を開始した。モスクワで1956年10月19日、日本とソ連の戦争終結、外交及び領事関係回復に関するソ日共同宣言に署名がなされた。ソ連政府は、ソ日共同宣言第9項で、平和条約締結後にシコタン島とハボマイ群島を日本に引き渡すことで同意している。
クリル
 - Sputnik 日本, 1920, 24.05.2021
ソ連、2島引き渡しで解決目指す 極秘文書=共同通信

米国との軍事・政治協力

ソ日共同宣言は1956年12月8日に両国によって批准されたが、1960年に日米安全保障条約が締結されたのを受け、ソ連は島の引き渡しに関する義務を取り消した。新たな条約は、日本の領土に軍事基地を建設して使用し、そこに任意の数の軍部隊を配備する可能性を米国に残した。日本は米軍基地が攻撃を受けた際には守る義務を負った。ソ連政府は、日本政府が署名した新たな軍事条約はソ連や中華人民共和国に対して向けられたものであり、これらの島の日本への引き渡しは外国軍が使用する領域を拡大すると考えた。

平和条約締結の試み

国境画定の問題に関する双方の立場が根本的に食い違っているため、ロシアと日本との間では今も平和条約が締結されていない。
日本は、1855年の通商と国境に関する二国間条約(下田条約)を引用して、イトゥルップ島、シコタン島、クナシル島、ハボマイ群島を要求している。ロシアは、南クリルは第二次世界大戦の結果としてソ連の領土となったという立場。
1956年のソ日共同宣言では、平和条約締結後にハボマイとシコタンが日本へ引き渡されると記されているが、クナシリとイトゥルップの運命については言及されていない。2対の島々のステータスの区分けが、その後60年間にわたる交渉プロセス全体における主要な困難をつくりだした。
中国と日本の国旗 - Sputnik 日本, 1920, 29.09.2022
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1956年の宣言に記されているような、まず2島を日本へ引き渡すという案は、2001年にロシアのウラジーミル・プーチン大統領と日本の森喜朗首相(当時)の会談で話し合われたが、その後、この案は棚上げされた。
2018年、プーチン大統領と日本の安倍晋三首相(当時)は、平和条約締結を見込んだソ日共同宣言を基本に交渉を加速化することで合意した。ソ日共同宣言は両国間の戦争状態の終結、さらに日本の管理下への移行は平和条約締結後にはじめて行われるという条件の下、シコタン島およびハボマイ群島の日本への譲渡を定めている。
2022年2月24日にロシアがウクライナで特殊軍事作戦を開始した後、日露関係は「クーリング・オフ期間」に入った。3月21日、ロシアは日本との平和条約交渉を打ち切ると発表した。ロシア外務省は、対ロシア制裁パッケージを含む、ロシア連邦に対する日本の非友好的な行動を非難した。
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