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【人物】「故郷のドネツク市を守ったことを誇りに思う」 戦線で片足を失ったドネツク青年、希望は失わず
【人物】「故郷のドネツク市を守ったことを誇りに思う」 戦線で片足を失ったドネツク青年、希望は失わず
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ウクライナでの特別作戦で片足を失ったものの、コールサイン「シトラス」の若いロシア兵は気落ちしていない。25歳の彼は依然として陽気で、笑顔を絶やさず、前向きだ。故郷のドネツク市を守ったことを誇りに思っている。 2022年11月21日, Sputnik 日本
2022-11-21T19:37+0900
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スプートニク通信のインタビューの中で「シトラス」は、17歳の時からドネツク人民共和国領で戦っていることを明かした。ウクライナ軍がヘリコプターからドネツクのクイビシェフ地区を攻撃し始めた2014年、この決断をくだした。「シトラス」は当初、ドネツク人民共和国義勇軍にいたという。2014年のドネツク人民共和国内での戦闘行為に加え、「シトラス」は特別軍事作戦にも参加した。民間人への支援「シトラス」によると戦闘行為中は、ウクライナ軍が「近くにあるもの」すべてを銃砲撃していたという。そこに民間人がいようがいまいがお構いなしだったという。禁止地雷「シトラス」はある日、死亡兵を担架で運んでいる時に、人命に極めて危険という理由で使用が禁止されている対人地雷PMF-1「通称バタフライ」を踏んだ。ウクライナ軍はこの地雷を詰めた爆薬で定期的に街を攻撃していた。小型で、緑あるいは茶色のため土の上ではほとんど目立たないものだ。重傷を負ったにもかかわらず、「シトラス」は故郷のドネツクを守ったことを誇りに思っていると強調する。関連記事
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【人物】「故郷のドネツク市を守ったことを誇りに思う」 戦線で片足を失ったドネツク青年、希望は失わず
2022年11月21日, 19:37 (更新: 2022年11月21日, 19:55) ウクライナでの特別作戦で片足を失ったものの、コールサイン「シトラス」の若いロシア兵は気落ちしていない。25歳の彼は依然として陽気で、笑顔を絶やさず、前向きだ。故郷のドネツク市を守ったことを誇りに思っている。
スプートニク通信のインタビューの中で「シトラス」は、17歳の時からドネツク人民共和国領で戦っていることを明かした。ウクライナ軍がヘリコプターからドネツクのクイビシェフ地区を攻撃し始めた2014年、この決断をくだした。
「シトラス」は当初、ドネツク人民共和国義勇軍にいたという。
「その後、ドネツク人民共和国民隊の砲撃隊で152ミリ榴弾砲を扱い、最終的には狙撃兵となった。17歳で戦争に行った。両親には数日後にこの決断について話した。親はもちろん心配していたが、この決心を受け入れてくれた。自分自身はドンバスの住民のためにそう決めた」
2014年のドネツク人民共和国内での戦闘行為に加え、「シトラス」は特別軍事作戦にも参加した。
「特別作戦に参加する前に戦闘経験があったが、軍事訓練を受けることになった。約2週間続いた。その後、すべての兵士が戦いに出た。特別作戦ではあらゆる戦闘課題を遂行した。グループ保護と観察からドローン発射まで。何度も前線に行った」
「シトラス」によると戦闘行為中は、ウクライナ軍が「近くにあるもの」すべてを銃砲撃していたという。そこに民間人がいようがいまいがお構いなしだったという。
「建物の地下室には民間人がいた。我々ロシア兵の姿を見てとても喜んでいた。彼らによると、ウクライナ軍は民間人の避難をまったく考えていなかったという。地下に誰がいるのか知っていたはずなのに。我々は前線から離れた建物に彼らが移動する手伝いをした。発電機、水、食べ物を提供した」
「シトラス」はある日、死亡兵を担架で運んでいる時に、人命に極めて危険という理由で使用が禁止されている
対人地雷PMF-1「通称バタフライ」を踏んだ。ウクライナ軍はこの地雷を詰めた爆薬で定期的に街を攻撃していた。小型で、緑あるいは茶色のため土の上ではほとんど目立たないものだ。
「仲間の死亡兵を担架で運んでいる時に地雷を踏んだ。前にいた人が地雷に気づかなかった。自分自身も担架のせいで見えなかった。そうして自爆した。1時間半かけて運ばれ、車で病院に連れていかれた。あと10分遅かったら出血多量で死んでいただろう。ひどく痛かったが、耐えた」
重傷を負ったにもかかわらず、「シトラス」は故郷のドネツクを守ったことを誇りに思っていると強調する。
「砲撃にもかかわらずドネツクの生活は本格的に進んでいる。民間人はもうこの状態に慣れているが、いい方向に変わることを信じている。自分自身に関しては、故郷のドネツクを守ったことを誇りにしている」