Военный самолет и вертолеты на авиабазе морской пехоты Футенма, Окинава - Sputnik 日本, 1920
沖縄の米軍基地問題
第二次世界大戦末期に米軍に占領された沖縄には、1972年に日本に施政権が返還されて半世紀以上が経った今も31の米軍基地が残る。総面積は1万8609ヘクタールと沖縄の8パーセントを占めており、全国の米軍専用施設の面積の7割が集中。かつては朝鮮戦争の後方拠点として使用され、現在は中国と対峙する米軍の最前線拠点となっている。沖縄では長年、米兵による犯罪や米軍機の事故、騒音被害など様々な問題に悩まされてきた。これらを背景に、世界一危険といわれる普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題では、移設が唯一の解決策とする国とそれでは根本的な問題解決にはならないとする沖縄県が対立を深めている。

【人物】沖縄戦に参加した元少年 「自ら戦争をひき起こしてはならない」

© 写真 : Corporal William C. Beall, USMC沖縄戦線南側の日本軍陣地に向けてミサイルを発射する米軍戦闘機(1945年6月)
沖縄戦線南側の日本軍陣地に向けてミサイルを発射する米軍戦闘機(1945年6月) - Sputnik 日本, 1920, 07.02.2023
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2023年1月、沖縄戦に学徒として参加した人たちが、戦争の悲惨さを伝え、決して、同じ悲劇を許してはならない思いを込め、日本国民に向けて声明を発表した。スプートニクは、「沖縄・元全学徒の会」の会長を務める與座章健さんに独占インタビューを行った。
78年前の沖縄戦では、沖縄の住民は成人児童の別なく動員され、米軍上陸の事態に備え、日本兵のために軍事飛行場を建設し、陣地を築いていた。
「正義の戦争だと教え込まれ、知らないうちに戦争の加害者となり、戦争に加担させられた。日本政府は今、日米安全保障条約の下で『中国脅威論』を盾に軍備増強を進めている。自衛隊と米軍の一体化がさらに進む中、国民の緊迫の度を高め、自ら戦争を引き起こそうとしているような状況と戦前が重なる。軍拡ばかりが前面に押し出され、住民の被害に対する思いは微塵もない」
当時、高校1年生で沖縄戦に駆り出された與座さんらが表したこの声明は、日本のマスコミに掲載された。スプートニクは與座さんに取材し、78年前の戦争当時のこと、ご自身が直面せざるをえなかった困難、悲惨さについて語っていただくとともに、今の日本人へのメッセージをいただいた。

戦争の時代、高校生だった

與座章健さんは17歳で中学4年生(現在の高校1年生)で沖縄戦を経験した。
陸軍航空士官学校への進学を目指していた與座さんは14~16歳の学徒による少年兵部隊の鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)に入隊し、第32軍司令部壕で補修作業に従事していた。與座さんの学んでいた一中では、290人の少年たちが命を落とした。
© AP Photo米軍による沖縄侵攻後 沖縄の道路を歩く日本人女性と子どもたち(1945年)
Японские женщины и дети идут по дороге Окинавы после вторжения американских войск на остров Рюкю, 1945 год - Sputnik 日本, 1920, 07.02.2023
米軍による沖縄侵攻後 沖縄の道路を歩く日本人女性と子どもたち(1945年)

のんびりとした生活は消えた

與座さん:私たちが中学校にいったのが昭和16年、14歳のときでした。4年たって戦況がおかしくなったのですが、日本が戦争に負けるなど夢にも思っていなくて、幼い子どもでしたから士官学校に行こうかなと準備をしていたところでした。士官学校に行こうと思ったのは生活が保障されるからではないです。そういう発想は当時は子どもでしたし、まったく念頭になかったです。
勤皇隊に入ったのは沖縄戦が始まってからで、仕事と同じようなかたちです。当時はもうのんびりした普通の生活ではなくなっていましたから、中学を卒業し、どこか上級の学校に上がるという発想はなくなっていました。希望して入ったのではなく、気が付いたら勤皇隊に入っていた。自然の流れですよね。自分がこうしたいという方向にいける時代ではなかったです。

飢えと過酷な労働

スプートニク:勤皇隊の除隊されたときは、ほっとされましたか? 上から除隊の希望がつのられたというお話でしたが。
與座さん:食うや食わずで作業をしていたところに、「お前たち全員を食わす食糧はなくなった」と言われたんです。こんな(仕事ができる状態ではない)やつを食わしてやっていてもしょうがない。という者を除隊させたわけよ。口減らしのために何人かには帰ってもらえという話だったわけさ。みんなと一緒に行動するのは自然の流れだったので、体力に自信のないやつは手を挙げろといわれても、あげる人はいなかったよ。自分が望んでみんなと別行動をしたいということはないわけですよ。
© 写真 : Public domain / Photograph weekly bulletin / Cabinet Intelligence Bureau作戦会議を行う第32軍司令部。一番左が司令官の牛島、中央で指揮棒を持って説明しているのが参謀長の長
Японские генералы и штабные офицеры 32-й армии на Окинаве, 1945 год - Sputnik 日本, 1920, 07.02.2023
作戦会議を行う第32軍司令部。一番左が司令官の牛島、中央で指揮棒を持って説明しているのが参謀長の長
スプートニク:隊にいるときに様々な軍の側面をごらんになったというお話でしたが、自衛隊の前身の警察予備隊に進みたいというお気持ちはありましたか?
與座さん:なかった。世の中はだいぶ落ち着いていて、特に切羽詰まった感じがなくなっていたので、そこへいって自分の身をたてたいという気持ちはなかった。本土へ大学に留学できる時代になっていましたから。
スプートニク:当時と今の日本が似ているところはどこでしょうか。
與座さん世の中の動いている先が当時と今では全然違っていますのでね。人間は自分の思う通りに行動できる。外国にも行ける時代で、当時の行き詰った、どうしようもない、選択の余地のない状況とは違い、自由に自分の希望する方向にいける時代ですから、まったく違いますよね。戦争が差し迫って、どうにも動きようのない時代は、そういう切迫感のない今は想像できないでしょうね。

アジアの現況と戦争の脅威

スプートニク:日本が防衛を強化すればするほど、隣国は恐怖を感じて懸念を深めることはありませんか?
與座さん:そういうことはあるでしょうね。世界全体がどういう方向に動いているのかということについての考えがまちまちであれば、言い争いもあるでしょうね。ですが、世界全体、アジア全体を見ても、戦争を起こして自分の国益だけを追求することはできなくなっているんじゃないでしょうか。
スプートニク:元全学徒の会で、沖縄を戦場にすることには断固反対という文章はご自身が中心になって用意されたのですか? 文面はみなさんで考えを出して文章化されたんですか?
與座さん:誰が言いだしてこうなったということは特にないです。僕らの先輩もそんなに動いてない。動いてるのは僕らぐらいのものですよ。僕らだけ生き残ったという思いがありますから。それでいいのか、危ないよという感じを受けるときもありますが、国民全体としてそんなにバカにはなっていない、変な方向に動いていないと思っています。
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【解説】露日平和条約の見通し崩れる 日本の非友好的な政策とクリル諸島をめぐる長期にわたる領土紛争

同じ国民へのメッセージ

與座さんが代表を務める元全学徒の会は今年1月、「沖縄を戦場にすることに断固反対する声明」を発表した。そこには次の文言が書かれている。「日本政府は今、日米安全保障条約の下で『中国脅威論』を盾に軍備増強を進めている。自衛隊と米軍の一体化がさらに進む中、国民の緊迫の度を高め、自ら戦争を引き起こそうとしているような状況と戦前が重なる。軍拡ばかりが前面に押し出され、住民の被害に対する思いは微塵もない」
「今、日本政府がすべきことは、侵略戦争への反省と教訓を踏まえ、非戦の日本国憲法を前面に、近隣の国々や地域と直接対話し、外交で平和を築く努力である。戦争を回避する方策をとることであり、いかに戦争するかの準備ではない。しかし、今の政府は戦争をするきっかけを見つけ出し、戦争にまい進しようとしていることが強く危惧される」
戦争の惨さを子ども時代にまざまざと体験した與座さんらのメッセージに耳が傾けられることを願ってやまない。
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