【視点】米国による東京大空襲は、人道に対する犯罪に分類できる

© Sputnik米国による東京大空襲は、人道に対する犯罪に分類できる
米国による東京大空襲は、人道に対する犯罪に分類できる - Sputnik 日本, 1920, 10.03.2023
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広島と長崎への原爆投下は、1942年から1945年まで続いた米空軍による東京やその他の日本の都市に対して行われた大規模な空襲を隠してしまっている。これらの爆撃を発案したのは、ある一人の人物だった。
日本では1945年3月10日、東京大空襲が起きた。東京はこの日、焼夷弾による絨毯爆撃を受け、大規模な火災が発生。様々な推計によると、この空襲で8万人から10万人が死亡した。日本全土で63都市が大規模な爆撃を受けた。1944年末から対日戦略における航空作戦を指揮していた米空軍のカーチス・ルメイ将軍は、大規模な工業工場が集中するドイツの都市に対する空襲戦術は、日本軍には効果がないとの結論を出した。
1945年3月10日の大空襲後の東京 - Sputnik 日本, 1920, 10.03.2023
広島、長崎の前に米軍が行った残酷極まりない未曽有の絨毯爆撃 1945年3月10日の東京大空襲
フガス爆弾は家屋を破壊したものの、近隣の家屋には被害が及ばなかった。そのため、焼夷弾を優先することを決定した。空襲は日本の防空部隊が爆撃機を追跡できないように夜間に行うことも決定された。1945 年 3 月 9 日未明から10 日にかけて、米軍の B-29 重爆撃機325 機がマリアナ諸島の空軍基地から離陸し、東京に向かった。その3 時間以内に 1665 トンにもなる焼夷弾が東京に投下された。
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東京大空襲

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この結果、東京の街には激しい火の手が上がり、すべての命が奪われた。それまで東京では10回の空襲で約1300人の市民を失ったが、3月9日未明から10日にかけて、少なくとも8万人が犠牲となった。正確な死者数を確定することはできていない。またこの大空襲で4万人が負傷した。東京の人口の約半数が家を失った。ルメイ自身は、戦争をできるだけ早く終わらせる必要性から、大規模な爆撃を正当化した。
ロシア対外情報庁の退役軍人であり歴史家のレフ・コロルコフ氏は、「戦時中の爆撃を戦争犯罪に分類されるべきかどうかについて、さまざまな意見が存在する」とスプートニクに語っている。
「私の考えでは、これは民間人に対する戦争犯罪、あるいは人道に対する犯罪として正当に分類されるものだ。なぜなら、民間人の命が奪われているからだ。そして、この爆撃を組織した人々は、このことをよく理解していた。この点で、1945年の東京大空襲は、(ドイツの)ドレスデン爆撃と比較することができる。 日本の崩壊はもはや避けられなかった。その頃までに、すでにヤルタ協定が締結されており、ソ連はヨーロッパ戦線終結から2〜3ヵ月後に日本と戦争に突入することを予定していた。米軍司令部は、東京を上空から攻撃することで、日本を戦争から撤退させることを目論んでいた。東京を破壊することで、日本の政治指導者に圧迫感を与えることを期待していたが、うまくはいかなかった。しかし、1945年までの日本の軍事的敗北はすでに決まっていたことであり、これに対する認識はすでに日本にはあったのだが…」
ルメイは、1945年8月に広島と長崎への原爆投下作戦の指揮を執った人物の一人でもある。興味深いことに、ベトナム戦争中にルメイはすでに引退していたが、ルメイの言葉を借りれば「(ベトナムを)石器時代に戻す」べく、北ベトナムへの爆撃を提案していた。
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