【人物】ロシアの生け花師範 日本にいる時はまるで自分の家のように感じます

© 写真ウラーナ・クーラール氏
ウラーナ・クーラール氏 - Sputnik 日本, 1920, 10.08.2023
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彼女の名はウラーナ・クーラール。この名前はロシアでは珍しい。ソフトな物腰と鮮やかな頭脳の持ち主のこの小柄な女性が、今やロシアでファッション・スタイリストやデザイナー並みに引っ張りだこなのだ。実際、彼女はデザイナーではある。ただし、ファッションの、ではなくランドスケープのデザイナーだ。しかも、生物学修士号を持ち、草月流モスクワ支部と表千家茶道の師範であり、日本庭園の専門家といくつものわらじを履いている。
スプートニク:生け花に興味を持ったきっかけを教えてください。
クーラールさん:私はトゥバ(シベリア南東部)で生まれ育ち、1984年にモスクワ国立大学の生物学部に入学しました。そんなある日、学生寮で生け花講座の募集広告が目に入ったんです。子どもの頃から日本に興味があったので、生け花がどういうものかは知っていました。でも、その講座は有料で、学生だった私には高額でしたし、通う時間もありませんでした。その後、大学院に進んだ時に、日本大使館が主催する日本語講座に通い始めました。そこには生け花の無料講座もあったんです。そして1999年に、私は日露青年交流団に参加したのですが、それはちょうど生け花と盆栽の分野の交流だったんです。私は当時、ダーウィン博物館で8年間働いていて、その間に草月流だけでなく池坊でも10回以上生け花の展覧会を開催していたので、そのグループに入ることができました。
スプートニク:子どもの頃から日本に興味があったそうですね。
クーラールさん:父はジャーナリストで、家にはたくさんの本がありました。その中に日本の写真が掲載された本があったんです。 七五三のお祭りで7歳くらいの女の子が着物を着ている写真を覚えています。私自身は当時9歳くらいで、何かにつけてその本のページを繰っていました。
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生け花のマスタークラス

生け花のマスタークラス - Sputnik 日本
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ウラーナ・クーラール氏

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ウラーナ・クーラール氏

また、ある時、父が日本のデュオのザ・ピーナッツのレコードをもってきてくれると、今度はそれをひたすら聴ききました。それを見た父は「なんだろうね、この子は。いつも日本にばかり惹かれているよ」と言っていましたよ。 そのことを知ったうちの家族の友人が、日本についての本を私にくれましてね。高校生になると、アジア・アフリカ諸国大学に入ろうと思い始めました。高校を最優秀成績の金メダルで卒業したので、入学の可能性はあったんです。 でも、ある人に言われました。「こんな田舎から出てきた女の子は絶対に受からないよ」と。 また私は生物学にも興味があり、クラスノヤルスク大学の夏期生物学教室で学んだこともあったので、モスクワ大学の生物学科には、難なく入学できました。
スプートニク:日本に行かれたとおっしゃいましたが、それはどんな旅でしたか?
クーラールさん:それは素晴らしい旅でした。東京の草月流の本部に行って、当時の家元の勅使河原宏さんと、現在、家元となられた勅使河原茜さんにお会いすることができたからです。勅使河原茜さんは自ら私たちのグループのために生け花のデモンストレーションを行い、自著にサインを入れて、皆にプレゼントしてくれました。京都では、毎年恒例の池坊流の展覧会にも行くことができたんです。 この旅には山田みどり先生も同行され、旅のおかげで私たちはとても親しくなることができました。
© 写真 : Urana Kuular山田みどり先生とウラーナ・クーラール氏
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山田みどり先生とウラーナ・クーラール氏
そしてこの旅は私に新しいきっかけを与えてくれたんです。生け花の本は日本行きの前にもう持っていたのですが、日本にいる間にハサミやその他の道具を自分用に購入して、帰国後は、様々な生け花の講座に通い始めました。そして最後は草月流に落ち着きました。 この流派はとても人気が高いのですが、それは草月が実験的な意欲をかき立て、想像が自由に広がるように働きかけてくれるからなんです。
2004年、私は生け花の先生になるために勉強を始めました。そしてモスクワのマスタークラスで片山健さんという素晴らしい師匠との運命な出会いがありました。片山先生の指導の下、私は生け花の資格試験に合格することができ、そして卒業証書が届くのを待ちました。日本から分厚い封筒が届いたとき、私は封を開けて息をのみました。中には卒業証書のほかに、片山先生からの贈り物として、勅使河原蒼風のサイン入りの色紙と、先生の印が押された「ザクロ」の絵があったのです。 片山先生には世界中に何百人もの生徒がいると思いますが、ロシアの一生徒にとって、それはかえかえのない贈り物でした。
© 写真 : Urana Kuular片山健氏とウラーナ・クーラール氏
Urana Kuular - Sputnik 日本, 1920, 10.08.2023
片山健氏とウラーナ・クーラール氏
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ウラーナ・クーラール氏の生け花

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スプートニク:最近、イジェフスクで19世紀末から20世紀初頭の日本の古い写真に彩色をしたコレクションの展覧会をデザインされましたね。様々なイベントで生け花を飾ることは多いのですか?
クーラールさん:はい、招待はたくさんあります。多くの現代アートギャラリーと協力しています。今年の春は、本物の芸術作品を扱う機会に恵まれました。 サンクトペテルブルグの鎹アートギャラリーで開催された、日本の現代陶芸界の巨匠、幸兵衛窯陶芸家七代・加藤幸兵衛と九谷焼名工・九谷庄三の直系の武腰一憲の陶芸展です。美術館の展示品レベルの器ですから、とても責任のある仕事でした。 そして、このような器に作品を活けることは生け花の匠であればみんな夢見ています。 この展覧会は2ヵ月半続きましたが、生け花の命はふつう1週間なので、いかに作品を長持ちさせるかを考えなければなりませんでした。
スプートニク:構図のイメージは事前に考えるのですか、それとも即興ですか?
クーラールさん:自宅で生け花を飾ったり、教室で生徒に見せたりする場合は、作業の過程でイメージが生まれるんですが、展覧会の場合は事前に準備します。頭の中で未来の構図をイメージし、さまざまなバリエーションを考え、デッサンを下書きします。それはきっと音楽や詩が生まれる時の感覚と同じではないでしょうか。花それぞれの特徴を十二分に開いてやらねばないません。花も人間と同じです。それぞれ個性がありますからね。私は花、小枝、草の葉、曲がった木株には創造的な可能性があり、生け花とはすなわち、植物というマテリアルと共に行う創造であると信じています。
© 写真 : Urana Kuularウラーナ・クーラール氏の生け花
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ウラーナ・クーラール氏の生け花
スプートニク:花束と生け花の基本的な違いは何ですか?
クーラールさん:花束には空間が少なく、躍動感がありません。枝のない花だけを組み合わせる場合、日本の著名な達人でも花束のような生け花を作りますが、花の割合はそれほど密ではなく、均一でもなく、対称的でもありません。生け花には常に空間の遊びがあります。今の草月では作品に使うのは自然素材に限定されてはいないのですが、私としては、自然素材ほど強い感情を呼び起こすものは他にないと思います。
スプートニク:生け花以外にも、茶道、墨絵、日本庭園にも取り組んでおられるということは、日本文化に深く浸透されたのでしょうね?
クーラールさん:私は毎日作品を制作しているので、私にとって生け花は仕事であるだけでなく、生き方でもあります。 でもね、日本芸術のひとつの分野に深く没頭している人は、何らかの形で日本芸術の他の分野にも惹きこまれていくものなんです。 このことは私にも当てはまります。 私は山田みどり先生がモスクワに招待した日本人の師匠に墨絵を学びました。 それから何年もの間、山田先生の茶道の教室に通い、茶名もいただきました。 茶名をいただいた人は、茶の湯を教えたり実践したりできます。
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スプートニク:あなたにとって日本とは?
クーラールさん:日本にいると、まるで自分の家にいるような気がします。本当に心地よくて、全てが明確で、自然で。でもモスクワに住んでいても、やはり日本にいるような気がしているんです。私の生徒のほとんどが親日家か、日本と関係のある仕事をしている人たちだからでしょうか。日本の女性もいますし..。
スプートニク:夢みていらっしゃることはありますか?
クーラールさん:今、私の夢は、世界に調和が生まれることです。人と人の間に、国どうしの間に。確かにとても難しいことでしょう。だって、親しい人たちの間でも調和を生み出すのは時に簡単ではないことがありますからね。茶道や生け花のような芸術が教えてくれるのは、しばらくの間、ほんの一瞬でもいいから、調和のとれた空間を作り出すことなんです。調和や美はとてもはかなく、とらえどころのないものです。だからこそ、私たちの生活の中にあるその存在を広げていくことがとても大切なのです。
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