「批判には笑顔で応えて忘れるのがいちばん」 『ロリータ』作者のナボコフ生誕120周年

ナボコフは4年連続でノーベル文学賞候補になった。作品は今でも読み継がれ、議論され、有名な映画監督が作品を基に映画を撮影し、文学者は飽きること無くナボコフの作品と人生に新たな発見を探している。
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4月22日、ロシア・世界文学に痕跡を残した作家、ウラジーミル・ナボコフ生誕120周年を迎える。その才能は国や様式の枠組みには収まりきらない。ナボコフの散文を貫く考えは、灰色の繰り返しやステレオタイプにまみれた世界と主人公の対立だ。

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ナボコフは1899年、サンクトペテルブルクで貴族の家庭に生まれた。1917年11月、十月革命の際にナボコフの家族はドイツに亡命。同地で1927年、ナボコフの処女長編小説『マーシェンカ』が出版。続いて8作の長編小説が出た。第2次世界大戦開戦に伴い、ナボコフは米国に移り、英語での執筆活動を開始。米国では『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』や『プニン』が出版された。

1955年には『ロリータ』がフランスで出版。12歳の少女を愛する成人男性の物語だ。ナボコフは出版を期待していなかったが、運命は異なる様相を見せた。1958年、『ロリータ』は米国でも出版された。ナボコフは名声を得て、作品はスキャンダラスに広く世に知られた。

この小説に対し、ナボコフには嵐のような批判が降り注ぎ、今でも止まない。だがナボコフは批判をかなり冷静に受け止めており、次のフレーズが知られている。「批判は笑顔で受け止めて、忘れるのがいちばんだ」。『ロリータ』は1962年にスタンリー・キューブリック監督、1997年にエイドリアン・ライン監督によって映画化され、今でもナボコフの最も読まれる作品であり続けている。ナボコフはこの状況を夢にも思わなかっただろう。1977年7月2日に亡くなるまで、ナボコフは最後の日々をスイス・モントルーで送った。

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ナボコフ一家がサンクトペテルブルクで住んでいた家は今、世界で唯一のナボコフ博物館になっている。博物館は生誕100周年に合わせて開かれたが、当時はほとんど展示品がなかった。だがこの数年で重要な記念コレクションを収集。そして最近、ナボコフ唯一の息子で子供を持たなかったドミトリーの死後、米ナボコフ基金はナボコフの個人的な遺品である300個の箱をペテルブルクの博物館に引き渡す意欲を示したことが明らかになった。だが1つ条件があり、博物館は国立のステータスを得る必要がある。今のところナボコフ博物館は国立ではなく、展示ないし保管用の場所がない。

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博物館サイトの『友人』コーナーには14カ国の団体・人物の名前が記載。なかには日本ナボコフ協会とナボコフ研究者の中田晶子氏と三浦笙子氏の名前が記されている。

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