サンボは柔道から生まれたロシア発の総合格闘技 なぜロシアだったのか?
サンボが生まれたのは1920年~30年代のソ連だった。サンボは、日本においても世界においても人気スポーツになり、1947年には国際的な格闘技として認知された。サンボ誕生から約100年が経った今も、サンボと柔道を縁にした日露の結びつきは途絶えていない。サンボと柔道の達人であるロシアのプーチン大統領と、柔道金メダリストで、JOC会長でもある山下泰裕氏との特別な友情が、この結びつきを一層強めてくれている。
大会会場を訪れたミハイル・ガルージン駐日ロシア大使は、「サンボの源流は、とても近しい日露の関係、互いの豊かな文化とスポーツの伝統の中にあります。サンボは、ロシアの威力と、日本の柔道の洗練された技が一つになったものだと思います。そこにサンボの本質があるのだと思いますし、この意味でサンボと柔道は兄弟関係にあるスポーツだと言えます」と話している。ガルージン大使は、在日本ロシア大使館と日本サンボ連盟は、日本人にとってサンボがもっとポピュラーなスポーツになるように、絶え間なく協力していく考えを示した。
柔道家がサンボをやるとどうなる?
大会実行委員長で、日本サンボ連盟の浅井信幸副会長がスプートニクの取材に応じ、サンボがどのように柔道家の役に立ってきたのか、実例を教えてくれた。
今では柔道のルールが厳しくなり、サンボのような技をかけるとすぐに反則を取られるが、モスクワ五輪があった1980年当時は、柔道選手もレスリング選手も皆、サンボのルールで戦っていた。特にソ連の選手と対峙すると、組み方や関節技が全く日本の技と違っていた。
浅井氏「無差別級の柔道全日本チャンピオンである岡野功さんが、ロシアのボリス・ミシェンコさんと柔道の試合をしたことがありました。すると、立ち技から寝技に引き込んで、くるくるっと関節技をとられて…ミシェンコさんが勝ったんですよ。これで、日本もサンボを研究しないといけない、とわかったのです。サンボの技ができなくても、どういう技がサンボにあるかということがわかれば、防御ができます。ですから、柔道選手にとってサンボは今でも重要だと思います。」
サンボは五輪種目になれるのか?
2018年11月、国際オリンピック委員会(IOC)は国際サンボ連盟を3年間の期限付きで暫定承認した。このことは、将来、サンボが五輪種目になれる可能性があり、かつIOCから資金援助を受けられる可能性があることを意味する。浅井氏は、前向きに考えているが、そのためにはサンボと柔道の違いを理解してもらうことが重要だと考えている。
近年、サンボの大会出場者は減少傾向にあったにも関わらず、今年は積極的な普及活動により多くの参加者が集まり、はるばる北海道から参加した選手もいた。上位選手は、3月19日から23日までロシア・モスクワで行われる「ハルランピエフ記念選手権大会」に出場する。