先にトルコ国家評議会(最高行政裁判所)は、トルコ政府がアヤソフィアの地位をモスクから博物館に変更した1934年の決定を無効とした。
その後、エルドアン大統領は大統領令に署名し、アヤソフィアをイスラム教のモスクに変更し、施設内での礼拝を許可した。
エルドアン大統領はNTVの番組に出演した中で、「我々は民意に基づきアヤソフィアの地位を変更する決定を下したのであって、ほかの者たちが我々に何を言おうとも相手にしない」と発言し、アヤソフィアの地位変更は「偉大で強靭なトルコ建設に通じる正しい道」と評価した。
アヤソフィア(旧ハギア・ソフィア大聖堂)は、ビザンティン建築における唯一無二の建造物として知られており、東ローマ帝国のユスティニアヌス1世(在位518〜527年)がコンスタンティノープル(東ローマ帝国の首都、現イスタンブール)の栄光を後世にまで伝えるため、建設を命じた。
1453年にコンスタンティノープルがオスマン帝国によって陥落した後、大聖堂はモスクに変わり、コンスタンティノープルはイスタンブールと改名された。
1935年、トルコ共和国建国の父と呼ばれるケマル・アタチュルク初代大統領が署名したトルコ政府の政令により、アヤソフィアは博物館となり、建物内に描かれた初期のキリスト教のフレスコ画やモザイク画を塗り固めていた漆喰の層は剥がされた。1985年、アヤソフィアはユネスコの世界遺産に登録された。
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