ミャンマーのクーデター 紛争の本質は一体何なのか? 日本はこの情勢に影響を与えることはできるのか?

ミャンマーでは、国軍がクーデターを起こし、国際社会の大きな注目を集めている。首都ネピドーでは何が起きているのか?そしてこのクーデターは日本となんらかの関係があるのか?日本はこの情勢に影響を及ぼすことができるのか?スプートニクが調査した。
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何が起きたのか?

ミャンマーの軍事クーデターは2月1日に発生した。このクーデターで国軍はウィン・ミン大統領、アウン・サン・スー・チー国家顧問や与党・国民民主連盟の指導者を逮捕した。

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このクーデターにより、ミン・アウン・フライン将軍が事実上の国家指導者となった。同将軍は1年間の非常事態を宣言し、ミン・スエ副大統領が大統領代行に就任した。

今回のクーデターについて国軍は、2020年11月に実施された総選挙で不正があったためだと説明している。こうして、政権を掌握した国軍は、非常事態宣言が解除された後に総選挙を行うとの意向を表明した。国軍は前回の総選挙の結果を再び確認し、新たな総選挙の投票によって合法的に選出された政党に政権を譲渡する。

クーデターに対する抗議行動は、ミャンマーだけでなく、隣接するアジア諸国にも広がっている。デモは官公庁が集まる東京の霞ヶ関でも行われ、日本在住のミャンマー人数千人が日本政府に対し、ミャンマー政権を奪取した国軍に対して、断固とした行動を取るよう求めた。

日本はミャンマー情勢に影響を及ぼすことはできるのか?

スプートニクはこの問題について、ミャンマー政治に詳しい京都大学東南アジア地域研究研究所の中西嘉宏准教授にお話を伺った。

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中西教授:「日本ができることはあると思います。日本は2011年から、ミャンマーの支援を中心的に進め、改革を後押ししてきました。企業の経済進出や投資も進んでいます。また、日本政府はクーデター前に国軍とも文民政府とも良い関係をつくってきました。ミャンマー政府からの信頼もあつい国です。今回のクーデターで国軍は世界から非難を浴びています。日本政府も『重大な懸念』を表明し、今後のアウン=サン=スーチーの処遇によっては、さらに厳しい声明を発することになるかもしれません。しかし、突き放すだけでなく、同時に変化を促すことも必要です。どこかの時点で、国軍に対し、国際社会の理解が得られるような行動をするように働きかけをした方がいいと思います。それができるのは日本くらいです」。

一方、ロシアの政治学者の中には、中国が国連安保理において、ミャンマーの新政権の保護を支持する可能性があると指摘する者もいる。こうなれば、民主的な政治体制の回復が複雑になる可能性がある。国軍に対する国際的な圧力のもと、ミャンマーの中国への依存度はかなり強まる可能性もある。

日本への影響はあるのか?

中西教授:「なにか直接、日本国民に影響することはないと思います。しかし、影響が出るのは、今すでにミャンマーに進出している企業です。国軍は今後、政策が大きく転換することはないといっています。しかし、彼らが変わらなくても、世界の見方が変わりました。ミャンマーで事業をしていること、投資をすることが問題視されるようになるかもしれません。欧米がなんらかの制裁に踏み切った場合、そうした雰囲気はますます広がるでしょう。リスクを抱えたまま投資をすることは難しいので、順調に増えていた日本からミャンマーへの投資は今後、減少することが懸念されています」。

長年にわたる紛争の本質

ミャンマーの歴史において、2月に発生したようなクーデターが起こるのは初めてではない。

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ミャンマーでは、1962年に国軍が軍事政権を樹立したが、2011年に民主的統治に移行した。政権移行のプロセスは長引いたが、最終的には2015年の総選挙で、国民民主連盟が上下両院で勝利を果たし、54年ぶりに国軍とは関係のない大統領が選ばれた。

しかし、実質上の最高権力者となったのはアウン=サン=スーチー氏である。アウン=サン=スーチー氏は30年にわたって、ミャンマーの民主化運動を率いてきた人物で、1991年にはノーベル平和賞を受賞している。

1989年から2010年にかけて、このほぼ全期間、アウン=サン=スーチー氏は自宅に軟禁されていた。国軍はアウン=サン=スーチー氏を大統領にさせないため、法的な制限を故意に設けた。そこで、2015年の総選挙で勝利を上げた国民民主連盟は、アウン=サン=スーチー氏が、公的に大統領の座に就かずに政権を運営できるよう国家顧問という役職を創設した。

2020年11月に実施された総選挙では、与党、国民民主連盟が再び勝利した。選挙管理委員会は投票の過程では深刻な違反は確認されなかったと発表し、国際社会もこの結果を承認した。しかし、国軍は選挙は不正なものだと主張しつづけ、その結果としてクーデターを起こした。

その後、政権を掌握した国軍は1年間の非常事態を宣言した。同将軍は非常事態宣言が解除された後に総選挙を行うとの意向を表明した。国軍は前回の総選挙の結果を再び確認し、新たな総選挙の投票によって合法的に選出された政党に政権を譲渡するつもりだ。

「不和の林檎」はロヒンギャか? 

国際社会は国軍の行動を非難し、国民民主連盟のリーダーたちの解放と民主化への回帰を求めている。一方で、主要国の首脳たちは、アウン=サン=スーチー氏に対して必ずしも肯定的な態度を取っているというわけではない。そしてこうした状況によって、国際社会が国民民主連盟が政権を取り戻すための努力を行わなくなる可能性もある。

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アウン=サン=スーチー氏は、事実上の指導者となってから、ミャンマーに住むイスラム系少数民族のロヒンギャに対し、強硬な政策を行っているとして非難されるようになった(ロヒンギャの人口は異なるデータにより、70万人から120万人とされる)。国際社会は、2017年に始まった政府軍とロヒンギャとの武力紛争を「ジェノサイド(集団虐殺)」と名付け、いくつかの団体、組織(ノーベル委員会以外の)はアウン=サン=スーチー氏のノーベル賞の取り消すとしている。

ロシアの東洋学者アイーダ・シモニヤ氏は、重要なことは、ロヒンギャに対するこうした政府の行動には根拠があることだと指摘する。1948年から、ミャンマーには反政府武装組織「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ロヒンギャの民間人とは区別する必要がある)が存在するが、この組織は、国境検問所を襲撃したり、仏教徒の村を焼き払うなどしている。1990年以降、「アラカン・ロヒンギャ救世軍」はサウジアラビアに戦闘訓練所を置き、同国から資金援助を受けていると見られている。こうした理由から、ミャンマー政府はアラカン・ロヒンギャ救世軍をテロ組織とみなしている。しかし、民間人と戦闘員を区別するのは容易ではなく、政府がアラカン・ロヒンギャ救世軍の煽動行為への対抗措置を取るにあたり、民間人が犠牲となることも少なくない。

ロヒンギャとの対立は宗教的な性質のものではない。ミャンマーは人口のほとんどを仏教徒が占める国であるが、国内にはイスラム教徒(約5%)、キリスト教徒(7%)もいる。彼らは、政府からも地元住民からも先住民族としての権利を認められていないロヒンギャと異なり、国民を構成する一部として認められている。

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ロヒンギャはかつてのベンガル(現在のインド、バングラデシュを含めた地域)出身と考えられている。しかし、バングラデシュを含む近隣のイスラム諸国もロヒンギャの受け入れを拒否している。

このように、ロヒンギャ問題には別の局面がある。つまり、アウン=サン=スーチー氏による政策が国際社会の期待に沿うものでないとしても、軍がこのまま政権を維持し続ければ、この問題の解決に向けた希望は失われてしまう。

中西教授:「昨年の総選挙に少数民族の政党は複数出ていました。しかし、ロヒンギャの政党は登録が認められませんでしたし、ロヒンギャがたくさん住んでいたラカイン地方の北部では治安を理由に選挙が実施されませんでした。現在の国軍は少数民族武装勢力との和解を進めようとしていますが、簡単には進みそうにありません。ロヒンギャはそうした少数民族とも認められていないので、対話の相手にもなりません。アウン=サン=スーチーはそれでも難民の帰還を進めようとしていました。国軍はもっとこの問題については強硬なので、ロヒンギャの帰還はますます遠のきます」。

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