広島 永遠の痛みと忘れられない記憶

76年前の1945年8月6日、米国は日本の広島に原子爆弾を投下した。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃だった。この原爆投下で広島の市街地はほとんど消滅し、原爆による死没者は現在、32万4139人と推定されている。そして毎年、この死没者名簿に新たな名前が加えられている。
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広島の原爆投下直後、専門家らは「この先75年間、灰の上には何も育たない」と断言していた。しかし、広島は立ち上がり、活気に満ちた素晴らしい近代都市に生まれ変わった。

以前、広島と長崎は2020年の夏季オリンピック都市になる可能性があった。第二次世界対戦終結75周年になる年に、このような選択は非常に印象的に映ったことだろう。このアイデアは2009年に生まれた。

当時広島市長を務めていた秋葉忠利氏は、2020年までに核兵器の廃絶を目指し、広島と長崎でオリンピックを開催したいと五輪開催都市への立候補理由を説明していた。

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しかし、この立候補に対して国際オリンピック委員会(IOC)は否定的な反応を示した。IOCのジルベール・フェリ五輪総括部長(当時)は、「オリンピック憲章には、1つの都市だけがオリンピックの開催都市になれると明記されている。共同での開催は認められない」とコメントした。

長崎は共催を断念したが、広島の秋葉市長は五輪開催都市への希望を持ち続けていた。広島は1994年にアジア競技大会が開催されたため、五輪開催が現実のものになる可能性があったものの、政治が状況を変えた。秋葉市長は2011年に退任を表明。その後、松井一實氏が広島市長に就任したが、松井氏は秋葉氏と異なり、広島での五輪開催に対する意欲を燃やさなかった。2011年1月4日、広島市は「地元住民の消極的な態度と財源不足を理由に」立候補を辞退した。そして当時、東京も2020年夏季五輪開催都市への立候補を検討しており、結局日本は東京だけが招致に向けて準備を進めることとなった。

広島では1947年以来、原爆死没者を偲び世界平和を願う平和記念式典が毎年行われている。2020年、日本は新型コロナウイルスのパンデミックで厳しい制限措置がとられた。そのため平和記念式典はソーシャルディスタンスを守るため、参加者の座席の数を制限して行われた。この年の式典では、世界各国の国際機関の代表や外交官がビデオメッセージでスピーチを行っている。

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2021年8月6日の平和記念式典は昨年と同様、規模を縮小して行われる。平和記念公園で行われるこの式典は、例年は誰でも参列可能だが、今回は招待客、当局の代表者や関係者に加え、原爆者や遺族のみが出席できる予定。松井一實広島市長は、式典に参加できない人々に対し、「お一人お一人がそれぞれにおられる場所において、心の中で8月6日の式典に参加していただきたい」とのメッセージを動画で伝えている。また、松井市長はその動画で、パンデミックを含む現代のあらゆる課題に世界が一丸となって立ち向かわなければならないと強調している。世界の全ての国はお互いに繋がっているため、一国だけで平和を実現することはできないのだ。

7月16日、オリンピック休戦期間が始まった。これはパラリンピック閉会式の7日後となる9月12日まで続く。この休戦期間を記念して、IOCのバッハ会長は広島を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花し、平和記念資料館を見学した。バッハ会長の訪問は、広島の悲劇が政治目的に利用されていると一部の市民や被爆者から非難された。また米国は、現在に至るまで道義的責任を認めず、日本の都市への原爆投下は「軍事的に必要」だったとして正当化している。一方、広島平和記念資料館の入館者数は年々増えており、2019年には約176万人に達している。

2016年には、バラク・オバマ元米大統領(当時現職)が平和記念資料館を訪問した。これは、現職の米大統領での訪問は初となる。この年の入館者数は約174万人を記録している。しかし、2018年にノーベル平和賞を受賞することになるオバマ氏でさえ、日本の人々に被害を与えたことについて謝罪する勇気はなかった。そして、これらの行為は人類に対する犯罪として人類の記憶に残るだろう。

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