長崎は共催を断念したが、広島の秋葉市長は五輪開催都市への希望を持ち続けていた。広島は1994年にアジア競技大会が開催されたため、五輪開催が現実のものになる可能性があったものの、政治が状況を変えた。秋葉市長は2011年に退任を表明。その後、松井一實氏が広島市長に就任したが、松井氏は秋葉氏と異なり、広島での五輪開催に対する意欲を燃やさなかった。2011年1月4日、広島市は「地元住民の消極的な態度と財源不足を理由に」立候補を辞退した。そして当時、東京も2020年夏季五輪開催都市への立候補を検討しており、結局日本は東京だけが招致に向けて準備を進めることとなった。
広島では1947年以来、原爆死没者を偲び世界平和を願う平和記念式典が毎年行われている。2020年、日本は新型コロナウイルスのパンデミックで厳しい制限措置がとられた。そのため平和記念式典はソーシャルディスタンスを守るため、参加者の座席の数を制限して行われた。この年の式典では、世界各国の国際機関の代表や外交官がビデオメッセージでスピーチを行っている。
7月16日、オリンピック休戦期間が始まった。これはパラリンピック閉会式の7日後となる9月12日まで続く。この休戦期間を記念して、IOCのバッハ会長は広島を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花し、平和記念資料館を見学した。バッハ会長の訪問は、広島の悲劇が政治目的に利用されていると一部の市民や被爆者から非難された。また米国は、現在に至るまで道義的責任を認めず、日本の都市への原爆投下は「軍事的に必要」だったとして正当化している。一方、広島平和記念資料館の入館者数は年々増えており、2019年には約176万人に達している。
2016年には、バラク・オバマ元米大統領(当時現職)が平和記念資料館を訪問した。これは、現職の米大統領での訪問は初となる。この年の入館者数は約174万人を記録している。しかし、2018年にノーベル平和賞を受賞することになるオバマ氏でさえ、日本の人々に被害を与えたことについて謝罪する勇気はなかった。そして、これらの行為は人類に対する犯罪として人類の記憶に残るだろう。