「もちろん、現在起こっているすべてのことが私たちの活動に影響を与えてます。私たちは2月24日に何が起こったのか知らなかったし、今後どうなるかも分かりません。しかし、私たちは完全に仕事から離れる訳にはいきません。それは、私たちの周りには活動のベースを日本に置いている人がいるからです。そして、私たちが運営する文化事業は、あれこれの娯楽イベントではなく、人々が日本文化に触れることができる大切な、そして貴重な機会となっているのです。そしてこうした活動は私の存在の一部になっていると言えます。日本文化を深く知るためのもう一つの手段として、日本への旅行があります。常にたくさんの希望者があり、非常に素晴らしい反響が返ってきていました。
しかし、まずはじめにパンデミックがブレーキとなり、見通しがまったく立たなくなりました。自分たちの力で企画できるプロジェクトを取り組むようにするつもりです。ロシアNIS貿易会と一緒に進めてきたロシア市場での日本のコスメ製品のプロモーションも同じです。新型コロナの隔離規制にもかかわらず、2021年は2020年よりも成功し、2022年に向けて計画を立てていました。しかし、現在は政治的制約だけでなく、物流や為替相場の変動も問題になっています。 とても悲しい状況と言えます」
「はじめにパンデミックによって観光ビジネスが『吹き飛ん』でしまいました。回復の兆しが見えてきた時、誰もが日本からの観光客が減るだけで済むと考えましたが、続いて新たな緊張が生じました。観光だけでなく、テレビや映画のプロジェクト、出版、フィギュアスケートなどにも被害が及びました。これらすべての分野に関わって翻訳者の仕事が極度に集中しましたが、同時通訳をしていた会議は途絶えました。ベテラン通訳にとってこれは耐え難いことです。おそらく、活動の場を変えなければならないでしょうが、それでも日本と関わりのあるものになるでしょう。現在、私は1918年から1925年の露日関係について研究しています。歴史を学ぶ中で、すべてが発展していることを目にしています。今後の露日関係に関して言えば、私は預言者ではなく、楽観主義者です。どんな時でも展望はあると思っています」
「私たちのビジネスは主にロシア人旅行者向けに設計されていました。旧ソ連の各国からロシア語を話す観光客をぜひ迎えたいと思っていましたが、いい時でもそうしたお客は多くはありませんでした。今後生き残るためには、新型コロナ前の状況まで観光業が回復するという幻想を抱くのではなく、他の事業に転換する必要があります。しかし、ロシアの非友好国リストに日本が含まれることは、私たちみんなにとって大きな打撃でした。両国の首脳は互いに譲歩しておらず、そのため、今後数年間、こうした状況の中でロシアと日本の二国間関係の正常化について話し合うことはほとんど不可能でしょう。今後3年、楽観的に考えることはできませんが、それでも私たちは状況がより良くなることを願っています」
「エネルギー分野からサプリメントや自動車部品の輸出など、日露ビジネスは多岐にわたります。日本のビジネスマンは、数十年にわたり積み上げられた経験や関係、投資が、明らかにどちらの側にも利益をもたらさない政治的決定の人質になっていることに当然不満を抱いています。既存のプロジェクトをどのように終結させるか、ロシアへの制裁は最終的にどうなるのか、新たな事業環境に何とか対応することはできないか、今は誰も明確に理解できていません。ウクライナ情勢が最終的に解決した後でなければ、この問題について話し合うことができないことだけは確かです。
そして、紛争が長引けば長引くほど、両国間のビジネスを維持・回復するチャンスは少なくなるでしょう。日本は軍国主義というとても複雑な過去を持ち、最近まで反戦・反核の気運が非常に強い国でした。国際共同体の一員であると自覚する中で、全体として日本人は、特に日本のビジネスは、ウクライナ領内での激しい紛争を食い止めるのに役立つなら、何らかの手段を講じたいと強く願っていると言えます。同時に、講じられる措置は象徴的な意味を持つことになるとは言え、多くの日本人は、ロシアとの経済関係におけるいくつかの制限措置が、日本自体にとっても大きな痛手になることを認識しています」