セルビア政府でコソボ問題を担当する高官は自身のツイッターに「セルビア人に対するテロが続いている。特殊部隊がミトロヴィツァの選管に押し入ってすべて破壊した」などと投稿している。この日はミトロヴィツァを含む、コソボ北部にあるセルビア人居住区の3カ所の選管が襲撃の標的になったという。
街には空襲警報が鳴り響き、爆裂弾のような音も聞こえたといい、現場周辺は騒然とした。インターネット上には住民が撮影したとみられる街の映像も拡散している。
自称コソボのビエサ・オスマニ大統領は、18日にセルビア人居住区で地方選挙を行うと表明していた。だが、セルビア人居住区の選管はこれに反発し、選挙をボイコットする姿勢を示していた。そこで、親コソボ派の選管を発足させようと今回の襲撃事件を起こした可能性もある。
コソボ問題
1999年、北大西洋条約機構(NATO)軍は当時のユーゴスラビア連邦共和国(現在のセルビアとモンテネグロ)内のコソボ自治区の独立運動が高まった際、ユーゴスラビア側がコソボ自治区で民族浄化を行っていると一方的に主張し、国連安保理の決議を得ることなくユーゴスラビア空爆を実施。この空爆では87人の子どもを含む2,500人以上が死亡し、被害総額は1億ドルに達した。以来、NATOは治安維持を目的としコソボに軍を駐留させている。
アルバニア系住民が多いコソボは、2008年にセルビアからの独立を一方的に宣言。 日本を含む欧米諸国は独立を承認しているが、ロシアや中国など世界60カ国以上は承認していない。セルビアはコソボの独立を認めておらず、自国の領土の一部と見なしている。
今年7月31日以降、コソボ側がセルビアとの境界の検問所を閉鎖し、両者の緊張はエスカレート。その原因はコソボ領内で、セルビア語で記された書類が禁止されることになったことなどにあり、散発的な銃撃にも発展するなど一触即発の事態となり、その後も緊張状態が続いていた。