ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、7日に行われた市民社会・人権発展評議会の会合で、2014年に署名された「ミンスク議定書」が抱える問題に言及した。その会合でプーチン大統領は、西側諸国の政治家はウクライナ紛争の平和的解決への道を開くはずだったが、結局はうまくいかなかった合意のことを思い出すと、口を固く閉ざしたがると述べた。
また、ドイツのメルケル前首相は以前、2014年の「ミンスク議定書」はウクライナに時間を与えようとしたものであるとの考えを示した。
では、これらの合意はいったい何なのか、何が決め手となって締結されたのだろうか?
ミンスク合意とは何だったのか?
2014年2月、ウクライナの民主的な選挙で選ばれた政権は、西側諸国の支援を受けたいわゆるユーロマイダンのクーデターによって倒された。このクーデターにより、ウクライナ東部では流血事態の紛争が発生し、新政権に屈しない人々がドネツク人民共和国(DPR)とルガンスク人民共和国(LPR)を形成し、独立を宣言した。
ウクライナ政府は軍事力によってこれらの共和国を早期に服従させようとしたが、それは上手くいかなかった。ウクライナ政府は戦場で決定的な勝利が得られず、ロシアや欧州諸国が平和的解決を求める中、ウクライナ政府は交渉に打って出たが、DPRやLPRの政治指導者との直接対話に消極的であったため、交渉は難航した。
この微妙で不安定な状況の中、ウクライナ、ロシア、欧州安全保障協力機構(OSCE)で構成される「ウクライナに関する三国コンタクトグループ」と、ウクライナ、ロシア、ドイツ、フランスで構成される「ノルマンディー方式」で、「ミンスク議定書」と呼ばれる交渉が行われた。この合意の名称は、中立の立場を示すベラルーシの首都ミンスクで行われたことから、そのように呼ばれるようになった。
ミンスク合意では何が記されているのか?
当事国は停戦を約束し、接触線から軍を撤退させた。
緩衝地帯に重火器を設置することは厳しく禁じられた。
多連装ロケットシステム「ウラガン」、「スメルチ」および短距離弾道ミサイルシステム「トーチカ」は、接触線から70キロメートル離れた地点に撤収されることになっていた。
OSCEのオブザーバーは、これらのルールが実施されていることを監視する予定だった。
「すべてはすべてのために」という原則に基づく捕虜交換に加え、紛争時に捕虜となった人々の恩赦を実施することが義務づけられた。
また、ウクライナ側はドンバスの両共和国の代表の立場を考慮し、DPRとLPRの分離地区の特別な地位に関する法律を採択し、そこで地方選挙を実施することになっていた。そしてその選挙の翌日、ウクライナは州境を完全に掌握することになっていた。
ミンスク合意に署名したのは誰?
最初の合意である「ミンスク議定書」には、「ウクライナに関する三国コンタクトグループ」の参加国と組織、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の首長が署名した。
2015年2月12日には、「ミンスク議定書」の実施に関する13項目の措置(いわゆるミンスク2)の署名が行われた。「ミンスク2」は、前年の9月に署名された「ミンスク議定書」と全体的に内容が一致している。
これらの合意は、OSCEを代表してハイディ・タリアヴィーニOSCEウクライナ特使が、ウクライナとロシア側は、レオニード・クチマウクライナ元大統領とミハイル・ズラボフ駐ウクライナ・ロシア大使(当時)がそれぞれ文書に署名した。
「ミンスク議定書」は、当時のDPRの首長アレクサンドル・ザハルチェンコ氏とLPRの首長イーゴリ・プロトニツキー氏も署名している。
「ミンスク2」は、ロシアのプーチン大統領、ドイツのアンゲラ・メルケル首相(当時)、フランスのフランソワ・オランド大統領(当時)、ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領(当時)が参加したノルマンディー形式の会合でまとめられた。
誰がミンスク合意に違反したのか?
過去5年間、ウクライナ側はこれらの合意の政治的条項の履行を控え、その代わりに、DPRとLPRの間の国境の支配権をまずウクライナ政府に引き渡すよう要求してきた。
しかし、DPRとLPRの当局とロシア政府はこうした要求を拒否した。ロシア政府は、ウクライナ軍が国境を支配して共和国を外界から事実上遮断すれば、ウクライナ政府は武力によってすべての反対勢力を鎮圧しようとするのではないかと考えていた。
また、DPRとLPR当局、およびロシアは、ウクライナ政府が緩衝地帯の居住地域を不法に占拠し、そこに重軍事設備を配備していると繰り返し非難してきた。
西側諸国は、ウクライナ政府がこの2つの合意を守らないことに目をつぶった。また、これらの合意を違反したとDPRとLPRを非難し続けたことが、状況をさらに悪化させた。
7日、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領とペトロ・ポロシェンコ前大統領が共に、これらの合意を履行しないつもりだと公然と発言したことを振り返った。
この発言は、プーチン大統領がウクライナ当局が合意を事実上破棄したと非難した後になされた。そしてプーチン大統領は2月下旬、ロシアがDPRとLPRの承認を決定するずっと前からこの合意は存在していないと述べている。
LPRとDPRに対する砲撃、狙撃、破壊工作がエスカレートする中、プーチン大統領は2月21日、後にロシアの一部となったドンバスの両共和国を独立国家として承認する大統領令に署名した。この大統領令に続き、プーチン大統領は3日後の24日、ウクライナでの特別軍事作戦の開始を発表した。