偶然?運命?日本食に転向したきっかけ
「KU:で働くことになり、生まれて初めて味噌ラーメンというものを食べました。これは何かすごいぞ!と思い、すぐにこの料理が好きになりました。単純な料理のはずなのに、ものすごく難しい。麺も、スープも、全てが理想的な状態で同時に提供されなければならない。ラーメンとは深い哲学なのだとわかりました。ラーメンに没頭するようになり、ラーメンだけでなく日本文化そのものにはまっていきました。日本食という未知の世界、しかも大きなチームでの料理長という経験は初めてだったので、正直、不安で怖い気持ちもありました。品質管理は非常に難しい仕事でした。仕事に慣れてきたのはようやく1年が経った頃です。当時、日本人の同僚だった高橋満男さんからは大きな影響を受けました。日本で研修する機会も頂きました。そこであらためて、KU:のプロジェクトの難しさや責任の大きさを痛感しました」
餃子バーという新しい挑戦
「その物件を見て、直感的に、日本に似ている、ここで餃子バーをやろう!と思いました。まるで日本の路地のようで、その場所に惚れ込んでしまったのです。餃子をメインにしたお店をやりたいというアイデアはずいぶん前からありました。それまでモスクワにあった餃子は、私が思うレベルに達しておらず、皮が乾燥していたり、具材の切り方がよくなかったり、どれも何かが足りませんでした。予算がほとんどなかったので、内装にはお金をかけず、餃子製造機だけを購入しました。物件の特性上、使える電気の量が少なくて、お客さんがいたのにブレーカーが落ちて真っ暗になったこともありました。でも皆さんが、餃子を目当てに通ってくれました。ここで初めて日本人のお客さんを見たとき、本当に嬉しくて心臓が割れたかと思いました。
ビジネスモデル的には難しいとわかっていました。実際、開店して1~2か月の間、利益はゼロでした。でも日本文化は私に、何かをやるときに、お金のためにやるのではないことを教えてくれました。もちろん店をやっていくためにお金は稼がないといけないのですが、それよりまずはお手頃な価格帯で美味しいものを出して、餃子を人気の食べ物にすることが先だと考えました」
モスクワ外食産業の問題点とは?
「私は、ロシア人にうけるようなロール寿司などはやりません。乱暴な言い方ですが、ロシア人のために料理するのではなく、日本人のための日本料理を作ります。それこそが成功の秘訣なのです。それによってロシア人のお客さんが自分の味覚を新発見し、味覚の幅を広げることになります。例えば、餃子バーに有名なレストラン批評家が来ました。彼は味噌ラーメンにバターとコーンが入っているのが気に入らず、批判してきました。私は彼に、札幌味噌ラーメンの写真を送って、説明しました。でも彼は「これはロシア人のための食べ物じゃない、ロシア人はこういう風には食べない」と言うわけです。
ロシアには大衆向けの日本食チェーン店が多数あり、お客さんがよく入っています。そういう店は、2010年代に、日本料理の浸透にずいぶん貢献しましたが、今ではビジネス面、利益だけが強調されるようになりました。そこには日本の哲学というのはありません。アジア料理というコンセプトの店もどんどんできていて、トレンドではありますが、そこには日本文化はありません。ロシア人は「モスクワ風」の日本食に慣れてしまっているので、それを方向転換するのは難しいです。モスクワのレストランはおおむね特徴のない、似たような店ばかり。お客さんの中には、料理の質よりも、綺麗な内装の店で、くつろぎながらおしゃべりすることを優先する人も多いです。しかし私は、料理人としてユニークさを追求したいのです」