マリウポリ市在住のネリャ・セミョノワさんは、スプートニクに対し、当時の様子を次のように振り返った。
「私達が表に出ると、彼ら(編注:ウクライナ軍)が撃ってきたのです。17番地の建物は大きく損傷し、ガラスで子どもがけがをしました。そしていつものように、米メディアの特派員を連れてきて『ほらロシア軍が撃った』と見せるのです」
セミョノワさんによると、3月9日から29日の間には毎日砲撃があり、夜間には榴弾砲を備えたウクライナ軍のジープ型の車が、住宅を砲撃して回っていたという。
また、住人男性はアゾフ大隊の戦闘員が、照準の的とするために、住宅に目印をつけたと語る。
「彼らが通りや柵に夜に光るペンキを塗り、印を付けているのを見ました。私達はそれを取り払ったので、ナッツの木が倒れただけで済みました。でも印が付けられたあっちの小屋は、家のど真ん中に弾が当たりました」
また、女性はアゾフ大隊が地域の民俗博物館や周辺の家々を砲撃していたと証言する。
「彼らは夜砲撃し、わざわざ的さえ用意していました。そしてあとでジャーナリストを連れてきて、『ロシアが博物館を攻撃した』として、ガラスまみれになった場所を撮らせたんです。私達は笑いましたよ。どのように『真実』が見せられ、センセーションが作られているかってね」
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