【人物】「尺八は楽器というより、私の師匠」 奏者アレクサンドル・イヴァシン氏に聞く

一人の男がモスクワの通りを歩いていて、窓越しに不思議な音の音楽を耳にした。どんな楽器がこの音を出しているのだろうと、彼はその音楽が聞こえてくる場所の扉を開いた、そこで聴いた音の1分間が、彼の将来の運命を決定づけた。日本古来の民族楽器、尺八のことである。現在、モスクワ音楽院で尺八を教えているアレクサンドル・イヴァシン氏は、日本の流派「琴古流尺八」の大師範の免状を持っている。イヴァシン氏はスプートニクからのインタビューに答え、尺八との出会いについて語ってくださった。
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イヴァシン氏:当時、私は自動車整備センターで働いていて、音楽とは縁遠いところにいました。ある日、モスクワの街を歩いていて、ある建物の前を通りかかると、とても気になる音が聴こえてきました。その時はその建物が音楽院とは知りませんでしたが。私は2階に上がり、音が聞こえてくるドアに行き、ノックをして中に入りました。そこでは何人かの人が、フルートを吹く白髪の男性の演奏に耳を傾けていました。私は空いている場所に座り、1分ほど聴いてから散歩を続けることにしようと思いました。 そしてその1分が私の人生のすべてを決めました。演奏が終わった時、私は勇気を出してこの演奏家に尋ねました。音楽教育も受けず、耳もリズム感もない私がこの楽器を演奏できるようになるにはどうしたらいいのかと。
すると意外な答えが返ってきました。 その方は、私は尺八の演奏に向いている、音楽の素養がないのはいいことだと言うのです。そして私に、15~16世紀の日本を想像してみろと言いました。内戦が終わり、侍たちはすることがなくなり、刀を笛に持ち替えて寺に入ったと。彼らには音楽の教養もなかった。そこで彼らは呼吸による瞑想の練習を始めた。つまり尺八は、呼吸がすべてなんだと。この方が尺八の名手、清水公平先生で、私の最初の師匠なんです。
スプートニク:アレクサンドルさんは2000年代初め、モスクワ音楽院世界音楽文化センターで、清水公平先生が指導する尺八教室に通い始められたわけですね。そして、2005年、琴古流の出す4段階の免状のうちの最初の免状を取得され、2016年には、最高位の「師範」の免状を取得された。ここに至るまでに、どのような道筋をたどられたのでしょうか?
イヴァシン氏:琴古流には全部で4種類の免状がありますが、それを取得するには、たくさんの曲を演奏して試験に合格しなければなりません。以前は、年齢が許す限り、清水公平先生は年に一度モスクワにいらして、マスタークラスを開いたり、検定試験を実施したり、練習の成果を披露する発表会の準備をされておられました。 2016年、私に卒業証書を手渡したときに、清水先生はこうおっしゃいました。 『尺八を吹けるようになったのだから、これからの人生、上手に吹けるようになりなさい。自惚れるな、この免状は始まりに過ぎないんだ。』 日本ではどんな芸術でも10年はゼロに等しい。10年経って初めて、なぜそれをやっているのかがわかります。先生は私に『虚露』という名前をくださいました。露のようにはかないという意味です。日本には、人生のはかなさを象徴するものがいくつかあります。散りゆく桜がそう。そして露の命はさらに短いです…。だから私は、人生を無駄にはせず、練習して技を磨くべきだと悟りました。人生は露のようにはかないのですから…
アレクサンドル・イヴァシン氏
スプートニク:尺八の楽譜はクラシック音楽の楽器のためのものと根本的に異なりますが、読めるようになるのは難しかったですか? また日本の笛はロシアでは作られていませんが、どこで入手されるのでしょうか?
イヴァシン氏:ヨーロッパの楽譜には馴染みがないので、私には簡単でした。それぞれの記号は、どの穴を閉じて、どれを開くかを意味しているし、その数はそれほど多くはありません。掛け算の表のように覚えて、あとは記号を見れば何をすればいいかがわかります。でも、記号を理解するために、私は学校に行ったり、先生に個人レッスンを受けたりして、日本語を勉強しました。尺八の入手についてですが、私たちの国では製作されているとしてもそれはアマチュアレベルです。なので尺八は日本から取り寄せるか、日本に行った時に買うしかありません。
尺八譜
スプートニク:尺八はあなたの人生をどのように変えましたか?
イヴァシン氏:私は今、音楽院やオンラインで尺八を教えています。お免状があるからできることです。オムスクやサンクトペテルブルクなど、ロシアの他の都市にも生徒もいますし、アメリカやペルー、ドイツなど海外に住んでいる生徒もいます。 モスクワ音楽院では、世界音楽文化学科で日本人の先生のチーフアシスタントをしています。 そして毎年、学生を募集しています。不思議なことに、今年は8〜10人ほどが登録しましたが、全員女性でした。また、ラジオや日本文化に関係する様々なイベントにもよくよばれます。そして私はインターンシップで日本に行きました、日本の演奏家と共演するために日本に招かれたこともあります。それが実現した時には、一緒にコンサートをしました。
スプートニク:日本はどんな印象でしたか?
イヴァシン氏:初めて日本に行ったのは2006年から2007年の時でした。まるで別の惑星に来たと、驚きました。 どうやったらこんなふうに暮らせるのだろうと思いましたよ。ルールがまったく違いますし、すべて私たちの国とは違うシステムです。次に訪れたときは、国としての日本への関心は薄れて、むしろ練習のほうに興味がありました。名所めぐりをする観光客ではなく、先生とどれだけ長く練習できるかのほうが大事でした。
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スプートニク:尺八はシンプルな笛のように見えますが、音を出すだけでも数ヶ月から数年かかると言われてます。実際そうですか?
イヴァシン氏:練習すればするほど身につきます。鍵盤をおせばすぐに音が出るピアノとは別物です。尺八は3年続けても、必要とする音を出すことはできません。最初のお免状が5年修行して初めて取得できるのというのは当然のことです。そしてこれはあなたは笛がちゃんと持てるようになりましたということです。吹けるようになったのではなく、音を出すことでもなく、持ち方を習得したという意味です。ここでは呼吸も手の置き方も、すべて意味をもっています。尺八奏者の海童道祖先生がおっしゃったように、毎日10分間『ロ』の音を吹いていれば、やがて達人になれる。もちろん、10分というのはあくまで例えです。ですが『ロ』は最も大切な音のひとつで、その音をマスターするには約10年かかると言われています。
スプートニク:尺八を吹くと健康になると言われています。本当ですか?
イヴァシン氏:落ち着きます。あくせくしなくなり、何事にも落ち着いて反応できるようになって、ストレスも減り、呼吸が正常になります。一般的に、管楽器の演奏は呼吸気道を強くします。医者が肺炎や風邪に罹った人に、風船を膨らませなさい、チューブに息を吹き込みなさいと勧めるのには道理があります。人が不安を抱えているときに『深呼吸をしなさい』といいますが、尺八の稽古もまさに深呼吸なのす。オーボエやフルートを吹く方々が尺八教室に通うと、呼吸だけでなく楽器の演奏も上達します。つまり、呼吸が改善され、それに伴い体内の健康が改善され、心の平穏が得られるのです。
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スプートニク: 尺八の音楽の特徴はどのように言い表せるでしょう?
イヴァシン氏:尺八は現在ではミックスです。 テクノロジーは発展し、禅宗の達磨僧が瞑想に使う道具であった尺八は、楽器にもなりました。尺八の理想の音は、竹を割り、そこに風が吹き込んできて、笛が鳴りだすというものです。これは尺八の『古い』音ですが、現在ではより澄んだ、フルートに近い音になっています。 尺八の一種の『法竹』。これは内に響くような音がでます。法竹は尺八よりも静かで瞑想的な音楽に向いてます。 とにかく、尺八の演奏の特徴は、音楽が演奏者と楽器という、2つの個性を同時に反映しているところにあります。
スプートニク:あなたにとって尺八は単なる楽器ですか、それともそれ以上のものですか?
イヴァシン氏: もちろん、単なる楽器ではありません。 これは私の師匠です。 精神と身体を育み、忍耐力を養ってくれます。 一つの音を作るのに5年かかり、別の音を作るのに10年かかるのに、忍耐力なしでどうやって続けることができますか? 尺八演奏の本質は一つの音に集約されます。 日本人の音楽の感じ方は違います。 私は『世界音楽文化』センターにとても感謝しています。ここでは西洋音楽に加え、違う国の音楽に触れる機会があり、日本、中国、インドネシア、その他のアジア諸国の楽器の演奏を専門的に学ぶことができます。 ロシアでは今のところプロの演奏家はほとんどいなくて、ほとんどが自己流にプレーするアマチュアです。
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