世界最大の強制収容所
ガザ地区は約360平方キロメートル(東京都の面積の16.4%)、長さ約40キロメートル、幅6〜12キロメートルの小さな領土で、南はエジプト、東と北はイスラエル、西は地中海に接している。そこに約222万人が暮らしている。
ガザ地区は、ユダヤ人とアラブ人が国民国家を樹立するためにパレスチナを分割した結果生まれたもので、アラブ人国家の領土となった。しかしその後、イスラエルがパレスチナのアラブ地域の大部分を占領した。土地を追われたアラブ人は、ヨルダン川西岸地区とガザ地区という小さな飛び地に定住した。1993年、両地域はパレスチナ自治政府の一部となった。2007年、ガザ地区でクーデターが起こり、過激派組織ハマスが政権を掌握した。
ガザ地区の特徴は、周囲を壁で囲まれていることだ。エジプトとの国境はコンクリートの壁でふさがれている。イスラエルとの国境は、1994年以降、鉄格子でできた高い障壁、道路、そして有刺鉄線を張り巡らせた高さ9メートルのコンクリート壁という一連の分離壁によって封鎖されている。コンクリートの壁は、監視カメラと遠隔操作の機関銃を備えた砲台で補強され、壁沿いには戦車用の陣地がある。壁の向こう側にはイスラエル兵の基地がある。
ガザ地区の空域と海域は暫定的にイスラエルが掌握しており、事実上ガザ地区の住民が海路と空路を利用することは禁止されている。
こうした状況から、ガザ地区は世界最大の強制収容所、天井のない監獄などと呼ばれることがある。これほど残酷かつ組織的に住民の権利が侵害されている場所は、世界中どこにもない。
対立する勢力
イスラエル国防軍は1948年のイスラエル建国時に創設された。兵士の数は16万9500人。同時に、戦時に招集できる訓練された予備役もおり、その数は46万5000人にのぼる。イスラエル軍は中東はもちろん、世界でも有数の軍事大国として知られている。戦車490台、装甲兵員輸送車1300台、装甲車両3500台、155ミリ榴弾砲250砲、810ミリ自走迫撃砲を250砲といった地上戦力のほか、戦闘機F-35を最大で30機、F-15を109機、 F-16を224機それぞれ保有している。イスラエル軍は日本の自衛隊より数ではやや劣るが、装備では自衛隊を上回っている。
イスラエルは米国の長年の同盟国であり、パートナーである。したがって、この軍事力はすべて米国の支援によって築かれたものである。アメリカはイスラエルに年間26億〜30億ドル(3870億~4460億円)を供与しており、2022年2月現在、累計援助額は1500億ドル(約22兆3347億円)に達している。アメリカの援助は、装甲部隊、航空、防空・ミサイル防衛システムの開発において重要な役割を果たしてきた。
ハマスは「イスラム抵抗運動」の頭文字をとった略語で、アラビア語で熱意や熱狂を意味する。1987年12月、エジプトのムスリム同胞団の分派として誕生した。ハマスはイスラエルとの協調路線をとったヤーセル・アラファトのパレスチナ解放機構に反対し、アラファトが1993年にイスラエルと和平協定を合意した後、パレスチナの対イスラエル強硬派の間で支持が上昇した。
2006年、ハマスがパレスチナ立法評議会の選挙で勝利し、下院議員の過半数の議席を獲得。それ以降、ハマスはガザ地区で武装部隊を発展させてきた。彼らは航空機や装甲車は持たず、大砲では自家製のカッサム・ロケット弾を運用し、イランの援助で入手したと思われる対戦車ミサイルシステムを保有している。
壁は役に立たなかった
7日朝の出来事で最も驚くべきことは、ハマスの戦闘員がイスラエルに対し完全に意表を突いた攻撃を行ったことである。これには2つの説明がある。
第一に、ハマスが作戦の前にイスラエルの諜報員を徹底的に排除していたことである。イスラエルは諜報機関「モサド」に大きく依存しており、通常はハマスによる軍事行動の兆候を諜報員を通してつかんでいた。しかし、今回は警告がなかった。イスラエルの報道官は、ハマスの指揮官が盗聴が難しい中国ファーウェイ製のスマートフォンを使っていたことが原因だとした。というより、イスラエル側との接触が疑われた者は作戦への参加から外され、孤立させられたことで、モサドは諜報員のネットワークを失った可能性が高い。イスラエル諜報機関の目をくらませることは、ハマス指導部にとって疑いようのない成功である。
第二に、イスラエル人は自分たちの分離壁に自信を持ち過ぎていた。一般人にとっては、完全に難攻不落の要塞なのだ。そのため、壁を警備するイスラエル軍兵士たちは、完全に安全だと感じていたため、警戒態勢をとっていなかった。しかし、ハマスの戦闘員は入念に障壁突破の準備をしていた。演習や訓練が行われた。壁や柵を爆破するための特殊な工兵用の爆薬が作られ、その中には分離障壁にバイクが通れるほど大きな穴を開けることができるものも含まれていた。
2023年10月7日の朝、ハマス戦闘員が数カ所で障壁を攻撃した。狙撃兵がカメラや監視装置を破壊し、爆発物を積んだドローンが砲塔の遠隔操作機関銃を撃破した。爆弾工作兵員は外側の鉄格子に続いて、コンクリートの壁も爆破。突撃隊は壁の裂け目に侵入し、イスラエル兵を攻撃した。
この日は土曜日で、イスラエルでは休日である。金曜の夕方から土曜の夕方まで、ユダヤ教の定めに従い、イスラエル国内の生活は停止したようになる。そのため、土曜日の朝、壁の後ろの基地の兵士たちは、障壁を突破することは不可能だと考え、ほとんどが眠っていた。実際、ハマス戦闘員が障壁を突破するのに要した時間はわずか数分で、多くのイスラエル兵が服を着る暇もないうちに殺害されたり、捕虜になったりした。
ドイツ式電撃作戦
ハマス戦闘員のイスラエルへの攻撃は、第二次世界大戦中のドイツ軍の戦術を鮮明に彷彿とさせた。ハマスの指導者たちは、ドイツ国防軍の戦術マニュアルを読んで応用したようだった。壁を突破し、主要検問所のエレズ交差点を占領した後、ハマスの戦闘員たちは車やバイクで道路を移動した。途中、対向車に発砲し、捕虜や人質を捕らえ、国境フェンスから3キロ離れたキブツ・レイムの音楽祭会場を襲撃した。最初の数時間は武装勢力に対する抵抗はほとんどなかった。そしてイスラエル軍が接近を始めたのはその後だった。ドイツ式の電撃戦である。
壁を突破し、作戦領域を確保した武装勢力は、ガザ地区の東、北東、北へと進軍を開始した。彼らがどの地点に到達できたかは正確にはわかっていない。分かっているのは、ハマスの戦闘員が北はアシュケロン、東はネティボトまで侵攻し、30カ所以上の居住地区に入ったということだ。戦闘員の数は正確には判明していないが、1,000人以上と報告されている。
同時に、ガザ地区からイスラエル領に向けて大量のロケット弾が発射された。ハマスは約5000発のロケット弾を発射したと主張し、イスラエル側の推定では2500発が発射されたとしている。
ハマスにはかつて、組織や優れた戦術が全くなかった。しかし今では、その部隊は首尾一貫して効果的に行動している。過去の長い戦争での戦闘経験と、ウクライナで進行中の戦闘、ドローンによる戦車や砲塔の機関銃への攻撃という両方の戦術が考慮されている。ハマスの武装勢力は、戦車や装甲車で軍事基地を占拠し、イスラエル軍将校を捕虜にし、イスラエル軍と警察に深刻な損害を与えた。イスラエル軍を敗北から救った唯一のことは、ハマス戦闘員の数が少なく、武装も不十分だったことだ。
この事例は、敵を過小評価するととんでもない災難に見舞われることを示している。イスラエルはパレスチナ人を常に軽蔑しており、効果的な攻撃を仕掛けるチャンスはないと考えていた。しかし、その評価は間違っていた。
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