安倍首相の終戦記念日の演説、言葉遊びか外交ツールか?

© AP Photo / Shizuo Kambayashi安倍首相の終戦記念日の演説、言葉遊びか外交ツールか?
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安倍首相は閣議において第2次世界大戦終戦70年に際しての自らの演説内容の確認を行う構えにはない。日本のマスコミは、安倍首相はこのことによって自分の演説が個人的見解であることを示唆し、演説でアジアの占領地域における日本軍の行為への懺悔をあまり強調しないつもりではないかと報じている。安倍首相は、日本の過去、戦争への懺悔、平和国家としての戦後のわが国の歩みに対する個人的見解になると語っている。

これより前、安倍首相は戦時中の出来事については何度も謝罪を繰り返す必要性を感じておらず、歴代の首相が演説で繰り返した「暴力」や「植民地」といった言葉は避けたいというようなことを口にしていた。

支持率が下がっても安倍首相は自らの路線を突き進む - Sputnik 日本
支持率が下がっても安倍首相は自らの路線を突き進む

これは単なる厳かな演説ではなく、首相の論弁がどう立てられるかについては北東アジア諸国、特に中国、韓国にとどまらず、他の諸国の政府も注視している。これは日本の成長する方向性を読むため、重要な指標とされている。安倍氏が自分の演説で使われる言葉に正しい表現を選び、正しいアクセントを置くために、16人の専門家からなる特別委員会を創設したのも偶然ではない。安倍氏は専門家らに、過去の教訓から日本がどういった帰結を出したか、戦後のエポックで日本が国際平和にいかに貢献したか、地域、世界の未来にいかなる貢献を行ったかにアクセントを起きたいと念を押している。日本の有名な政治学者で同委員会のメンバーである北岡伸一氏は、70年目の節目に日本の首相の行う毎年の声明は、大きな政治的外交的意味をもつもので、これに委員会は注意を傾けねばならないと語っている。

現在、全ての注意は安倍首相が4月に米国議会での演説で用いた言葉に集中している。この演説はおそらく8月の演説のリハーサルだったと思われる。この際、安倍首相の演説には「暴力」や「謝罪」という表現は用いられなかった。

アナリストらは、安倍氏はおそらく「反省」という表現を用いるだろうと見ている。日本ではこの「反省」という言葉は普通、自分の犯した過ちをわびる際に用いられる。だがこの「反省」に「お詫び」を付け加えなければ、中国、韓国の人々は侮辱されたと感じ、補足の謝罪を求めるに違いない。世界の英語圏の大部分はニュアンスを捉えることはなく、中国と韓国が過去の遺恨を忘れたくないとすることを「もっともだ」とみなしている。こうして表現は外交のツールになっていく。ひょっとすると、これをわざとしようとしているのだろうか?

これについて高等経済学院のアレクセイ・マスロフ教授は次のようにコメントしている。

「日本からの直接的な謝罪は、中国が聞きたいと望んでいた形も含めて、実際はなかった。だが、日本が罪悪感を感じていたことは明確であり、謝罪のひとつの方法として、日本は中国が改革を開始した際、これを全面的に支持した。当時日本は中国経済へ最大の投資を行い、これを謝罪、物質的コンペンセーションのひとつだと考えていた。ところが、中国は未だに国連も含めたあらゆる方面から謝罪があり、中国が押し出す形式に日本から全面的な支持があるよう要求している。特に、中国でいわれるところの「日本兵が中国領内で犯した犯罪」について、こうした要求は強い。もちろん、日本はこれに応じるわけにいかない。なぜならこれは民族の尊厳に関わることだからだ。これを中国もよくよく理解しているからこそ、それが合目的な場面ではこれを利用しようとするのだ。」

日本ではマスコミもブログでも首相がこれから行う演説について議論が戦われている。安倍首相の行動は、首相の推す法案が憲法に違反し、首相の政策が日本の平和主義の原則を壊すと考えるあらゆる方面から何度もたたかれている。太平洋戦争終戦70周年は、何が原因で何百万人もの人命が失われる悲劇が起きたのか、これを再び考え直す機会であるはずだ。だが、こうしたことの代わりに記念日を言葉遊びにしてしまう危険性が孕まれている。

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