— -日韓外相会談ではどのような成果がありましたか。
世界遺産登録問題は、まさに日韓関係の「ゲーム」の性格が変わったことを示す象徴的な事案でした。これは本来このように大々的に取り上げられるような問題ではありません。専門家が文言さえ調整すれば済むようなレベルの話です。しかし登録するか、させないかをめぐり、国のプライドをかけた争いになり、お互い一歩も引けない…という不幸な事態になりました。そこから双方、少しずつ譲歩し、今回の協力合意にこぎつけたわけです。日本は「韓国にしてやられた」などと思う必要はありません。そもそも世界遺産に限らず、歴史は正負合わせて継承すべきですし、韓国からの問題提起は、専門家委員会の勧告の中にあった「歴史の全体像(full history)」を伝えるためのきっかけと考えればよいのです。」
「もちろん楽観視はできません。朴大統領は、慰安婦問題での進展がなければ首脳会談に応じられないと従前の立場を崩していません。支援団体である韓国挺身隊対策問題協議会(挺対協)は事実上、拒否権プレーヤーになっていて、いち民間団体であるにもかかわらず政府の決定を左右しています。支持率が3割前後の朴大統領が、強硬派の挺対協を説得できるか、疑問です。日本からすれば挺対協の説得は、「韓国がこれまでずっと放置してきた、韓国がやるべき仕事」なのです。慰安婦問題は、日本側だけが一方的に譲歩するような類いの話ではありません。少なくとも安倍政権はそう考えています。韓国の歴代大統領は「これ以上歴史問題は取り上げない」と発言してきたにも関わらず、みな前言を翻していますからね。日本としてはこれで本当に「最終決着」だという確証を得ない限り、これ以上行動できません。朴大統領は「双方が必要な措置を取らないといけない」と発言していますが、問題は韓国も「必要な措置」を本当に取るかどうかですね。
実は日本は「慰安婦問題は法的には解決している」という立場を崩さなければ、何でもしてきました。特に90年代にアジア女性基金が相当頑張り、償い金、医療福祉、政府官僚が入った基金運営などを実現しました。「法的に解決済み」という立場との整合性をとりたいがためにアジア女性基金は「民間」として設立されましたが、事実上は公的機関だと言ってもよいくらいでした。この件は、韓国と一緒にゴールポストを設定し、一緒にボールを蹴り込んでゴールインしたはずだったのに、当時は日本のリベラルも「国家賠償でない」という理由で評価しませんでした。それなりに評価していたら、挺対協も今のような存在にはなっていなかったでしょう。当時日本は社会党首班でしたが自民党の連立政権で、これが「機会の窓」がもっとも開いた瞬間だったのでしょう。その時に最大限できることをやったわけですから、それ以上要求しても無理です。もう同じことはできません。今では、政治状況も政治リーダーの意思もすっかり変わりました。
今後日本側として最低限必要なのは、ここまでやれば最終決着だというゴールポストをもう一度一緒に設定すること。そしてゴールインしたときに、確かにこれで試合が終了した!という、「集合的な記憶」をつくる必要があります。本来90年代にそれをやるべきでしたが、日本はやり方が下手でした。村山談話を発表し、小泉首相も踏み込んだ内容の「おわび」の手紙も書いたのに、絵になるようなわかりやすいパフォーマンスがなかったために国内外で「納得」を獲得できなかったのです。パブリック・ディプロマシーが重要な今、政治エリートだけでなく一般市民も納得させるシナリオがないと本当の決着になりません。日韓ともに右派も左派も、相互調整によって得られた合意は「60点」ではなく「ゼロ点」と見なしています。右派と左派が互いに100パーセント勝利の解決だけを求め続けたら、いくら国同士が落としどころを見つけても、その合意が支持されません。つまり合意は合意として成り立たなくなってしまうのです。ナショナリズムと大衆迎合的なメディアに煽られて双方の国民の判断が硬直化していることが、問題解決を難しくしています。」
聞き手:徳山あすか