北朝鮮の核問題が早期に解決される期待は薄い、と語るのは、かつて外交官として朝鮮で勤務した経験ももつ、ロシア科学アカデミー経済研究所アジア戦略センターのゲオルギイ・トロラヤ氏だ。
「北朝鮮の問題がイランに続いて解決するというオプティミズムに対しては私は慎重でありたい。事情が全く異なるからだ。まず、北朝鮮はイランとちがい、既に核兵器を保有している。実験も行っているし、憲法にも核保有国としてのステータスが明記されている。北朝鮮が、政権の正当性を危機にさらしてまで、核を放棄することは考えにくい。第二に、イランは独立した国家として認められており、イランを滅ぼすことなど誰も考えてはいなかった。しかし北朝鮮はちがう。北朝鮮は、米国と韓国の真の政治的狙いは北朝鮮の現政権をゆさぶり、解体することにあるのではないか、と考えている。北朝鮮という国家の解体を未然に防ぐ唯一の保証が、核の保有なのである。核があれば直接的な軍事侵攻も政権を内部からの崩壊させる試みも予防できるというのである」
イランと同じように北朝鮮の核問題を解決することも、もしもそれが北朝鮮が核保有を企む以前であったなら、可能だっただろう。1994年、米国と北朝鮮は、いわゆる枠組み合意に調印し、北朝鮮は核開発を断念するのと引き換えに、核エネルギーの平和利用について支援を受け取ることが約束された。しかし、ほぼ、他ならぬ米国のせいで、枠組み合意は破綻してしまった。そうトロラヤ氏は語る。
「1994年の枠組み合意は非常に賢明で、公正なものだった。ロシアもこれを支持した。もし北朝鮮が核開発を凍結したら、米国は制裁を撤回し、原発建設を含めた経済支援を行う、そうすれば関係正常化が進むだろう、と考えたのだ。しかし米国は北朝鮮体制の早期崩壊を願い、北朝鮮の現体制を認めることについては自らの責務を履行するのを急がず、時間を引きのばした。北朝鮮はすぐに理解し、自分も合意を破りだした。つまり、合意は米国からも北朝鮮からも破られたのだ。それがその実現をうまく妨害してしまった」
2000年代初頭、北朝鮮の体制は崩壊しないということが明らかになった。2000年夏、平壌で、南北朝鮮首脳会談という歴史的イベントがあった。金正日総書記とキム・デジュン大統領の会談だ。これを機に北朝鮮は孤立からの脱却を性急に進めていった。2002年には長い間遅々として進まなかった原発建設計画が原子炉脇の基礎台建設および原子炉供給という段階まで進んだ。そしてそこへきて米国は、枠組み合意を履行しないために、北朝鮮はウランの濃縮を秘密裡に行っている、として、北朝鮮を非難しだしたのだ。憤慨した北朝鮮は、IAEAとの条約を脱退し、核兵器を公然と開発するようになった。もはや6カ国協議も効果がなかった。米国がこの枠組みにおいても公正さを欠いた振る舞いをなし、北朝鮮に圧力をかけ、自らの約束は履行しようとしなかったからだ。このように、他ならぬ米国こそが北朝鮮を核保有国としたのである。
しかし今、6者協議再開のチャンスが仄見えている。そうトロラヤ氏は語る。
「イランの前例によって、北朝鮮の核問題もその凍結という道筋で解決する可能性が再び模索されるチャンスが生まれている。それは米国、中国、ロシア、韓国、そして北朝鮮自身にとって必要なことだ。なぜなら、北朝鮮にとって、核抑止力というファクターに多額の資金を投じることは、最良のお金の使い方とは言いがたいからだ。しかし、イランの成功例と同じような経過をいま期待するには及ばない。その理由については、オバマ政権の優先課題の中に北朝鮮の核問題解決が含まれて居ないことを指摘すれば、それで十分だろう。彼は既に、キューバとの関係正常化と、イラン核問題に関する決定によって、外交的な成功を収めている。次なる大統領選のための切り札を、自身の党のために残したのである。この上北朝鮮でうまくいっても、選挙での支持に結びつくとは考えにくい」
イランとの交渉において米国に劣らぬ積極的な、ほとんど主導的な役割を演じたのは、ロシアである。そのロシアは、北朝鮮核開発をめぐる6者協議においても、最重要参加者の一人となっている。そのことが、イラン核問題の解決の経験が北朝鮮との交渉でも功を奏することへの期待を抱かせる。