スプートニクの取材に対し「歴史と文化の記念碑たるユネスコ世界遺産のリストにこのような資料が登録されることには絶対に反対だ」と語るのは、ユネスコ担当ロシア委員会筆頭書記、グリゴーリイ・オルジョニキッゼ氏だ。
「それは歴史的事実だ。たしかに起こったことだ。しかし、だ。このようなものを登録すれば、パンドラの箱が開く。1937年の南京戦に関する資料の登録に日本は非常に激しい反応を示した。これを受けて日本はユネスコへの資金負担を停止するとさえ宣言した。しかし一方で、同じ会議において、日本は舞鶴港経由で日本に帰った軍人たちの記憶に関する資料を登録申請した。ロシアは前もって、申請を控えるよう要請したが、結局申請はなされた。多くの国にそうした資料はあるが、問題があるなら二国間で解決すべきで、ユネスコの土俵にあげて、ユネスコという機関を政治の道具にするべきではない。歴史と文化の記念碑としてのユネスコ世界遺産のリストには戦争関連の記念碑は入らない、という考えもある。その原則を守らねば・・・」
日本兵研究を専門とするロシア歴史研究所のセルゲイ・キム氏がスプートニクの取材に答えて次のような考えを明かしてくれた。
「日本には過去のロシア、南北朝鮮、中国、フィリピン関係について大きな意見の隔たりがある。歴史のページを共有できないのは、日本が、軍国主義日本が上に挙げた諸国ではたらいた軍事犯罪を認めたがらないからだ。露日関係はいま明らかに停滞している。領土問題も未解決。平和条約も未調印。日本は制裁さえ行っている。抑留は露日間系において第2番目の重要な意義をもつ。第1の問題は周知のことだ。もしそれが現時点で解決されていないなら、どうして第2の問題が解決されようか?もし第2のものを解決できれば、第1のそれもより容易に解決できよう。なぜなら相互理解のための共通の空気が生まれるからだ。それは今両国間にあまりに不足している」
ユネスコの記憶遺産には1997年以降、国際・地域・各国レベルの資料一式が登録されるようになっている。同プログラムの最高執行機関である諮問会議に認定されたあと、ユネスコ事務総長の承認を得て登録は完了する。