小野正嗣氏は「地方についての文学」と題された講演で本や蔵書への思いを語り、『九年前の祈り』の一部を日本語で朗読したあと、参加者からの質問に答えた。
『九年前の祈り』は35歳で1人で息子を育てているさなえという女性が主人公。ロシア語には翻訳されているが、まだ書店には並んでいない。講演の開始前に小野氏は日本基金のブースでラジオ「スプートニク」のアンア・オラロヴァ記者に次のように語った。
小野氏:「大変驚きました。それまで芥川賞候補に3回なったんですね。3回落ちて、4度目のノミネートでした。賞というのはどうなるか、結果はわからないものですから、自分ではあまり気にしていなかったんですけど、それが受賞ということになって、その知らせを聞いたときは、『あっ、そうなんだ。僕がもらっていいのかな』と驚きました。」
「スプートニク」:ご自身の生き方、執筆に都会から離れ、田舎で生まれ育った経験はどんな影響を与えましたか?
小野氏:「今日の講演の中でそのような話をするんですけど、やっぱりずっとちいさな土地に暮らしてきて、おっしゃっているように田舎ですよね。その田舎を出て、東京という大都会に出たことによって、自分が生まれ育った場所が東京とぜんぜんちがうんだけれども非常に魅力的で豊かな場所だと。物語がはぐくまれ、息づいている場所だということに気がつきました。ですので、おっしゃっておられるように、東京に出たからこそ田舎の魅力を発見したということがあると思います。僕の小説はおっしゃるように、基本的に自分が生まれ育った土地をモデルにして書いていますので、やはりあの場所で生まれ育っていなければ、自分は小説を書いていないと思いますね。まぁ、小説を書いたのは僕ですけれども、僕が生まれ育った土地が僕に物語を示してくれて、その物語を僕が書いた。そういうふうにも言えると思うんですね。たしかにあの場所に生まれ育たなければ、今のような小説は書いていなかったと思います。」
「スプートニク」:本当の混じりけのない性格や感情が残されているのは村だけだという意見が聞かれますが、ロシアでは村は出生率が低く、若者が都会に出てしまい、急速に斜陽化しています。あなたのご見解では日本にもこうした問題はありますか? 村を次の世代までどう残すことができるでしょうか?
ロシアではどうなんですか? 都会にだけどんどん人が集まっちゃって、田舎にはおじいちゃん、おばあちゃんしか残っていなくって、村がなくなっていくということがおきているところもあるんですか?
日本も似たような状況になっているですね。大都市にだけ人が集まり、地方の小さな集落、村が寂れていくということがあって、小説になにができるかというとちょっとわからないんですけど、小説家は想像力によってそういう現実を物語の形で書くということしか出来ないと思います。ただ僕が自分のふるさとを見ているかぎりですと、いろんな村がよそから人がきてくれるようにいろんな工夫をして、田舎の魅力を何とかして多くの人に知ってもらいたいと努力していますので、僕の小説を読んで、地方に興味を持ってくれる方が増えれば、そういう関心をもってくれることが大切だと思います。
ロシアの田舎は全く想像がつかないんですけど、きっと、日本の田舎と同じように、そこに住んでいる人たちがみんな家族ぐるみで知り合いで、互いの生活に優しい視線を注いで、困った人がいたら互いに助け合っているというような場所じゃないかなと思うんですね。僕の田舎もそういうところがありますので、ロシアもきっと人と人のつながりが深くて濃い場所じゃないかなと想像していますけど。」
「スプートニク」:執筆に最も大きな影響を及ぼした作家を教えてください。
小野氏:「現在の生きている作家ではリュドミーラ・ウリツカヤさんの作品は好きで、フランスに留学しているときに、フランス語訳で読んで、こんなおもしろい作家がいるんだなと思いました。もちろん日本の僕たちにとってロシアの19世紀の作品というのはとても重要な作家であり、ドストエフスキーを読むというのはとても重要な経験だったと思います。ロシアはすばらしい作品がたくさんある文学の国だというふうに思っています。」
「スプートニク」:国際問題の中で、どんな問題が小説を書きたいというテーマがありますか? 今、お書きになられているのはどんな小説でしょうか?
小野氏:「あります。それは僕がフランスに住んでいたときに、大切な友達になりましたけど、フランス人の詩人で批評家のうちに住んでいたんですね。そのうちは世界から難民の方を受け入れていて、僕が住んでいたときもアフリカのスーダンから来た難民の人がいて、その人と友達になりました。それで僕は難民問題にずっと関心をもってきました。日本でもたまたま僕の家族が知り合いになったんですけど、シリア人の家族がいたんですね。その方たちがシリア内戦がおきたので日本で難民申請をしたんですけど、日本では申請が受け入れられなかったので、家族でドイツにいって、そこで難民として認められ、そこで住んでいるっていうことで、やはりフランスに住んでいたときは特にそうでしたけど、日本にいても難民の問題に接することがありました。僕自身が何かをしたわけではないんですけど、難民の方の姿をそばで見てきましたので、見てきたことを作品のなかにどうしても入ってくると思いますんで、今小説を書いているんですけど、その小説を通してですね、小説のかたちで難民の問題を考えているだと思います。自分ではそういうつもりで書いています。具体的に解決先を言えるようなことではないんですけど、難民の方を登場人物にした作品を書いています。来年に出版する予定です。タイトルはまだ決まっていません。難民の方は僕もけっこう親しくしていただいたんですけど、亡くなってしまったんですね。その人の物語をかくわけでは決してないんですけど、その人からお話を聞いて、その人をそばで見て、その人を助けようとすごく努力していた親友で、僕の父親と同じくらいの年なんですけど、クロード・ムシハルさんているフランス人の詩人で、その人と難民の方との関係をずっと見てきたことによって、自分のなかで感じたり、考えたりしたこと、受け取ったものがたくさんありますので、それを小説という形にしたいと考えています。」
本を読みながら、我々は別の人間の世界へと窓を開いていく。小野氏は、自分の住んでいるところから遠く離れた国の、既にこの世にいない作家の本を読むよう助言した。小野氏は、これを視野を広げるよい方法だと語っている。読書の大切さを語る一方で作家は、「最良の教育手段は本ではありません。よい「シェンシェイ(先生)」との出会いです」として、人間のふれあいを重視する発言を行っている。