日本の外務省は「残念ながら生存者発見には繋がりませんでしたが、ロシアの救助チームは体力に優れ、捜索活動に熱心で,倒壊した家屋に臆することなく入り、時には担当区域を越えて捜索活動を続けるほどでした。ご遺体が道路から遠く離れて搬送が困難な場所で発見された場合でも、『このまま置いておくわけにはいかない』と困難を押して搬送しました。タンクが壊れ、人体にとって危険な冷凍用のアンモニア溶液が垂れ流しになっているのをみて、危険を冒して手作業で修理する場面もありました。」(在ロシア日本国大使館「東日本大震災の際のロシアからの温かい支援」より)と支援に深く感謝した。またロシア政府は、ロシア国営原子力関連企業ロスアトムを通じて、個人の被ばく量を測定する個人線量計400個と、マスク5000個を提供した。
私企業で最もユニークな寄付をしてくれたのが、ロシア発のグローバルセキュリティソフト企業・Kaspersky Lab(カスペルスキー研究所)だ。ITセキュリティ事業で確固たる地位を築く同社は、日本法人カスペルスキー株式会社を通じ、義援金の提供、日本赤十字社への寄付、震災で失われたライセンスの無償再発行などに加え、ガイガーカウンター(放射線測定器)を5000台寄付した。ガイガーカウンターの提供はユージン・カスペルスキーCEOのイニシアティブで行われた。カスペルスキー氏は福島第一原発の事故を受け、1986年に旧ソ連で起こったチェルノブイリ原発事故をすぐさま思い浮かべた。カスペルスキー氏は、これから必ず放射線測定器が必要になると確信していた。実際のところ日本では、震災直後から全国でガイガーカウンターの品切れが続出。万が一、在庫があったとしても値段が超高騰し、本当に必要な人が入手できない状態だった。秋葉原のある店では、アメリカ製ガイガーカウンターが10万円まで高騰。それでも300人待ちだった。
カスペルスキー株式会社・代表取締役社長の川合林太郎氏は、当時をこのように振り返る。
「ガイガーカウンターが日本に届いた後、福島まで送るのが大変でした。公的な機関に一元的に受け取ってもらうことができず、被災地に直接持って行こうか、という話も出た程です。最終的には福島県出身の弁護士の方にご尽力いただき、被災地まで届けることができました。そのことがマスコミで報道された後、個人の方から、もしまだガイガーカウンターが残っていたら分けてもらえないか、との連絡をいただきました。少しだけ会社に残っていたのでそれを送ったところ、感謝のお手紙をいただきました。」
川合社長のところに来た手紙の内容は、「来るはずのない配達車が被災地にやってきて、こちらへ近づいてくるのです。もしかして…と思ったら、自分のところへ来ました。あけてみるとガイガーカウンターが入っていて、思わず涙が出てきました」というものだった。放射線という目に見えない恐怖と戦うストレスは並大抵のものではない。数値が低く必要以上に恐れる必要がない場合でも、その事実を知ることができなければ不安はずっとついて回ることになる。ガイガーカウンターの提供は、被ばくの不安を共有する国からの、本当に被災者が必要とした支援だったと言える。