第七大会を総括して一部の専門家は、単にこれまでの路線を確認しただけの出来事に過ぎなかった、と決めつけている。おそらく、そうなのだろう。しかし、疑問が生じる。その路線とは何か?それを理解するためには、ある種のかなり対立的な、一見全く同居不能と見える現在の北朝鮮の現実を結び合わせればよい。
平壌も変わった。40〜50階建ての高層住宅が建っていた。以前は、首都の通りはトロリーバスやバスに並ぶ非常に長い行列が出来ていた。トロリーバスやバスそのものがほとんどなかったのだ。今は列もなくなり、おびただしい自動車の中では外見上十分良質そうな国産車が優勢だ。また北朝鮮、中国、日本製のタクシーや軽自動車が大量にあるのも驚かせる。それも、役人、党幹部、タクシー運転手、諜報員だけでなく、一般の北朝鮮市民が乗り回しているのだ。そして、ドライバーの懸案事項も南の同胞とかわらない。おびただしい交通警察カメラの全てを見るような監視の目の下で、いかに交通ルールを違反しないかということだ。
工業も進んでいる。2つの工場を平壌で訪問した。電気ケーブルや絹糸の生産工場だ。多数のポスターやスローガンで飾られた工場の清潔さ、専門家だけが備えられるような品質の設備だけでなく、工場の人員のレジャーやサービス施設によっても驚嘆させるものだった。これに関しては確実に高みにある。スポーツ施設、コンピュータルーム、サウナ、プール、レストラン、工員の子供のための素晴らしい幼稚園。これらすべてが、その上等さに関し、また、それどころか、豪華さに関して、ソ連時代の最高の工場における同様の施設に劣らないばかりか、多くの点で凌駕するものだった。
しかし、ここには、ある種の二枚舌がある。チュチェにもかかわらず、北朝鮮はソ連と中国から援助を受けていた。ある専門家によると、ソ連の援助が80%を占めていた。よく知られている理由によりこの援助が大幅に縮小したとき、北朝鮮は経済的困難に直面した。これは、1990年代後半2000年代初頭に北朝鮮指導部が企業部門、事実上の民間部門を住民に許可することにつながった。それが早くも一部の問題たとえば住民に商品をとどけるというそれを解決させるのに役立った。しかし、金正恩氏が大会の報告で述べたように、なすべき課題は多い。請負仕事や企業形態の経済の振興などによって経済的後進性を克服することが必要だ。一連のロシア人専門家によると、北朝鮮は入念に中国、ベトナム、ロシアの改革の経験を調査している。
一方、金正恩氏は、公然と改革の必要性を認めることはできそうにない。そして、問題は古株の将軍親衛隊や党保守派の抵抗ということではない。金正恩氏は十分に反動の抵抗を克服できるだけ、北朝鮮のエリート層で十分な支持を受け、地位を強化できているようだ。問題は大衆の行動にもある。何十年もの間、彼らは金日成、金正日の理念、チュチェ思想への忠誠を教育されてきた。激変を恐れずすぐさまこの路線を脱することは不可能だ。中国もそれはしなかった。市場経済を構築し始めながらも、共産党の主導的な役割の不可侵性の保証として、毛沢東と彼の教えはシンボルおよび旗として残した。北朝鮮では当面、イデオロギーのコアとして金日成と金正日、チュチェ思想が残る。そして、もちろん、先軍思想、つまり安全保障と自立の主たる保証人としての軍事優先主義が。それは、米国も韓国もいかなる理性的な対話をも行おうとしない今、北朝鮮にとりとりわけ重要だ。米国の制裁厳格化は米国と韓国が北朝鮮の経済圧殺政策を放棄しない姿勢を示している。どうやら、彼らは平壌政権を弱体化し、ドイツのシナリオにそってソウル主導で朝鮮を統一できると期待している。南による吸収という運命を回避するために、北朝鮮は経済・軍事力を成長させるしかない。そして、それは、ベトナムであれ中国であれ、いずれかのモデルに沿って本当の改革を行うことなしには不可能だ。