鳩山邦夫氏は元外相を務めた有名な政治家、鳩山 威一郎氏を父にもち、首相として1956年にソ連との共同宣言に調印して、戦争で断絶していた両国の外交関係を復活させた鳩山一郎氏を祖父とする。鳩山邦夫氏は東京大学法学部を卒業するとすぐに政治活動を開始。1976年、鳩山氏は東京都第8区から衆議院に当選。当選回数はあわせて13回に及んだ。鳩山邦夫氏は幾度も組閣入りしており、法務大臣を務めた経験もある。
2009年10月、鳩山邦夫氏は兄の鳩山 由紀夫氏に代わり、日本・ロシア協会の会長に就任。鳩山邦夫氏は築かれつつあるプーチン大統領と安倍首相の関係が一連の政治家らに形成されたステレオタイプの拒否として刻まれ、二国関係の著しい改善における段階となることを希望すると幾度も繰り返していた。鳩山邦夫氏はまた、日本の最も近しい隣国であるロシアはエネルギー、農業生産物の分野で、つまり世界でますます不足が叫ばれる生産物の世界最大のポテンシャルを持つ稀有な国だと力説していた。鳩山邦夫氏は、これだけでも日本のロシアへの接近を刺激すべきものだと主張していた。
日本・ロシア協会のイーゴリ・ロマネンコ会長はスプートニクを通じて、鳩山邦夫氏への哀悼の意を表している。
「個人的にもまた協会からも鳩山さんのご家族に心からお悔やみ申し上げます。際立った政治家として、社会活動家として彼は両国の友好関係の発展に実に多くの事を成し遂げました。ロシアでは鳩山さんはよく知られており、これからいつも感謝の念を持って記憶に刻まれることでしょう。
私たちは鳩山さんと10月に露日間の共同宣言による両国の外交関係復活60周年を記念した合同イベントを計画していました。イベントが最終的には行なわれることを願っています。
おそらく日本では協会で鳩山邦夫氏会長にかわるにふさわしい人物が見つかると思いますが、鳩山氏は私たちにとっては才能豊かで影響力のある政治、社会活動家として単に物理的な喪失感が残でしょう。
私たちは彼の闘病は知っていましたが、それでも死はいつも突然やってくるものです。私たちは心の中に友人としての鳩山邦夫氏の記憶を常に刻んで生きたいと思っています。」