やまゆり園の「安楽死」:日本流テロ、それとも国境を超えた怨恨?

© REUTERS / Issei KatoPolice officers investigate at a facility for the disabled, where a deadly attack by a knife-wielding man took place, in Sagamihara, Kanagawa prefecture, Japan, July 26, 2016.
Police officers investigate at a facility for the disabled, where a deadly attack by a knife-wielding man took place, in Sagamihara, Kanagawa prefecture, Japan, July 26, 2016. - Sputnik 日本
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ここ数か月、世界は不可解な残酷さで意識を揺さぶる無意味な虐殺による罪のない犠牲者の血液に溺れている。ニースとドイツの悲劇の間にまだしもダーイシュ(IS)に準備された移民によるテロというつながりを見つけることができるとしても、誰がなぜフロリダのパーティーで未成年たちを銃殺したのか、そしてそれ以上に、なぜ急に静かな日本で植松聖容疑者がナイフをつかみ、「世界の平和」のために障害を持つ19人を殺害したのか、完全に不明のままである。

彼は誰だ?日本のサイコ?日本のブレイヴィク?日本のジハード主義者?それとも、彼が日本人であることは全く意味を持たないか?

悲劇の日以降、日本のソーシャルネットワークおよびブログで、「ヒトラー」「ナチス」といった言葉が氾濫している。 NHKによると、相模原市への取材で、植松容疑者が今年2月、精神科の病院に措置入院していた際、医師に対し「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と話していたことがわかった。しかし植松容疑者の「イデオロギープログラム」の中に最悪の理論との連続性を見つけることはそれらのコメントなしでも可能だ。悲劇の翌朝、人々は、Twitterで、同じ修辞的な質問を繰り返した。「お前はヒトラーか?」

​スプートニクの調査によると、回答者の25%は、植松容疑者はファシズムの思想の影響を受けて罪を犯した、と考えている。

​しかし、まだ日本にファシズムは生きているのか?それとも日本人は第二次世界大戦の残虐行為のために罪悪感を抱え、あらゆるものにその邪悪な幽霊を見てしまうのか?

「ファシズムとはいかなる関係もない。日本には今日いかなる極右運動も存在しない。「完全でない」人たちとのいかなる闘争も、なおさらない。反対に、日本の社会システムは非常に発展しており、先進国の中でさえ最も効果的なものの一つである」とかつて駐日ロシア大使を務めたアレクサンドル・パノフ氏がスプートニクとのインタビューで語った。

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直後に植松容疑者につけられた第二の標識は「ローンウルフテロ」。このブログにそう書いてある。米国務長官ジョン・ケリー氏さえ、哀悼の意を表する際、事件は「一種のテロだ」と述べた。スプートニクの調査で、回答者の29%は、植松容疑者の行動は独自のロジックを持っており、日本社会における問題への反応だったと考えている。しかし、植松容疑者の叫んだ要件は、プログラムとしては、テロ組織さえ含めても、どのような組織からも今日の日本において提唱される可能性があるかは疑わしいものである。

「私は絶対に彼の行動の中に既存のシステムに対する政治的な動機や社会的な抗議を探そうとは思わない。日本では、安楽死は、公的生活の主要な問題ではない。議会の議論や選挙演説でも提示されてはいない。植松容疑者のケースは、彼の問題をどういう形でか制度化することを許す範囲の外にある」スプートニクとのインタビューでヴィクトル・パヴリャチェンコロシア科学アカデミー極東研究所日本研究センター主任学術研究員がコメントした。

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つまり、植松容疑者はテロリストでも地下ナチス組織のメンバーでもない。しかし、それは、彼のケースが単発であり、再び起こらないことを意味するのだろうか?いや、違う。なぜなら、この恐ろしい常軌を逸した行為の唯一の本当の理由は、怨恨だったということだから。植松容疑者のように必ずしも健康ではない人や、ヨーロッパにおける中東からの移民のように必ずしもうまくいっていない人々は、それにかられる可能性がある。そして、彼らが感じている憎しみこそが、彼らを危険な思想の狂信者にしてしまう。「完全でない」ものとの戦いか、「異教徒」との戦いか。それは重要ではない。しかし、この憎しみの実現対象として、彼らは常に、最も脆弱な、最も無実の人々を選択する。障害者、休暇中の人々、子供などだ。やまゆり園の悲劇に対する一般日本人の最初の反応が次のようなものであったことも不思議ではない。「最初私は、どこか外国のことだと思った」。

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