予選を通過した詩は、三つのカテゴリーで評価された。伝統的な俳句、現代の俳句、川柳だ。そして追加のテーマが、「渡り鳥」。予選は2月から4月まで続き、本名またはペンネームで誰でも参加できた。
1990年代初め、インターネットの発展につれ、ロシアの俳句運動は広く普及した。何しろ驚くほど取り付きやすい。三行書くだけなら簡単なことだ!しかし徐々にロシア語俳句作者らがジャンルの本質を理解するに至り、芸術文化としての興隆、出品作への責任感が高まり出した。
今や、100年以上前に日本からの翻訳の模倣として登場したロシア語俳句が、徐々に詩の独立したジャンルとして姿を現したと言っても過言ではない。もちろん、俳句の始まり以降、日本で、また諸外国で起こったと同様、新たな表現方法と手段の模索のため、数多くの学校や潮流が誕生した。これは自然なことだ。活気のあるジャンルは変化しないではいない。しかし、一方で、この詩ジャンルの基本的な規範は不変だ。単なる簡潔性だけではなく、物事の本性、本質、つながりに対する作者の理解の伝達というものがそれだ。
俳句の何がロシア人にとって魅了なのか。コンテスト常任審査員でアジアアフリカ諸国大学日本文献学部准教授ヴィクトル・マズリク氏がスプートニクに語った。
「コンテストが始まったばかりの頃、偽俳句が非常に多かった。短い詩を書くだけなら非常に簡単だと人らは思ったのだ。今、質的な飛躍がある。俳句で最も難しいのは、論理的にではなく直感的にのみ把握することができる存在の不可分性の感覚を伝えることだ。この意味では、ロシア人は、直感的に感じるある種の能力を持っている。それは常にヨーロッパ人に与えられているものではない。この見解は、日本自身によって共有されている。そして、それは詩に関することだけではない。茶道の日本人師範は全員、ロシアの学生らは茶の気息を覚えるだけでなく、全感覚をもって茶に没頭し、感じることができている、と語っている。やはり我々は完全にヨーロッパの文化なのではなく、ユーラシア文化なのだ。つまり直感的な理解への希求がある文化。この点こそ西ヨーロッパのキリスト教と正教は異なっている。理解するだけではなく、存在の大いなる秘密への自らの関与を感じることへの願望。ここから俳句への希求もくる。こうした人々は、うらぶれた皮相な世界を拒否する。彼らにとっては、もしかしたらすべてが説明されてはいないが、すべてがとても明るくて強い、別の世界があるのだ。真の俳句には永遠のものと一瞬のものがなければならない。つまり一つのオブジェクトの中に永遠性と刹那性が存在していなければならない。芭蕉の言葉では、不易流行なき詩はもはや詩ではないのだ」
授賞式ではハングドラムの演奏や舞踏も行われた。俳句と音楽、舞踏はすばらしい調和をなしていた。
ロシア語による俳句をいくつか鑑賞してみよう。
小春日和。夢捕まえ機に説明書なし。
長期休み。老婆が孫から言葉を習う。
黒猫と互い道を横切る。お互いにとっての凶兆。
物憂くて。落ち行くマグを目にて捕らえる。
敷居の敷物。凍った靴からベロが下がる。
春の野原。子猫は足が地に着かない。
天の帯。瓶で色落ちペンキ筆。
車の飛沫。かわすのは間に合わず。目をつぶる。
先に伝えられたところによると、モスクワミュージカル劇場が、2018年に日本で『罪と罰』を客演する可能性を検討している。