日本の閣僚の靖国神社参拝はもちろん戦争の記憶に留まらず、日本の軍事力の拡大も絡んで多くの点で問題となっている。中国は明らかに日本が軍事面で徐々に力を増していることを危険視している。
自衛隊が段階的に軍隊へと変貌していると捉えるならば、私の見解ではこのプロセスによる危険性はかなり誇張されていると思う。第1に実際の自衛隊は、殊更に軍事的な意味で戦闘行為を開始した敵を破壊する目的で反撃を加える可能性を含まねばならないという状況は、考慮しないわけにいかないからだ。この観点からすると軍隊およびその海上、航空の軍備を拡大することは目的にかなった行為である(日本は自国の領域だけでなく、それに付随する水域をも守らねばならない)。
第3に大戦争には原料、石油が必要だが、これは日本にはなく、それのための海上運輸はあまりに損なわれやすいことは前回の戦争でも露呈した。
第4に戦後の時代が示したように日本の企業は日本人ジェネラルよりもはるかに多くを勝ち取った。現在、日本の経済、文化の影響の及ぶ範囲は第2次世界大戦時の日本人ジェネラルが示しえた範囲を超えている。日本は繁栄のために必要な全てを平和的方法で獲得することができる。一例ではロシアとの経済協力交渉が成功した場合、日本は莫大な原料、エネルギー資源を手に入れることができるではないか。
こうした論拠から日本が侵略の意図を持つというのは単に馬鹿げた話であるといえる。
では話を戦争の記憶と靖国神社に戻そう。まず中国、韓国両政府から出された声明が本質的には日本の内政への干渉であることを指摘する必要がある。日本の代表者らは中国や韓国の政治家にどの寺に参拝しろなどとはいわないではないか。
そして最後に靖国神社の札にその名が明記されている日本軍の兵士、将校たちだが、彼らは自分の命と引き換えに命令を遂行した。その彼らに日本政府の政策、特定の人物の犯罪の責任があるとするのは少なくとも道徳に反することだ。例えばソ連は対独戦争で莫大な犠牲を強いられたが、それでも全ての独兵士、将校にナチスの犯罪の責任を負わせようとはしてこなかった。非難の対象となったのは戦争犯罪を犯した特定の個人だけであり、戦争捕虜の圧倒的大多数な戦後数年して本国へと帰されている。また現在でも独兵の遺骨が見つかった場合は本国で埋葬されるためにドイツ側へと引き渡されるのが通常だ。靖国神社に祀られているおよそ250万人の英雄のうち、軍事法廷で裁かれ、戦犯とされたのはわずか14名。実際のところは中国、韓国の要求は日本軍の中でも戦犯判決に合致しない戦死した兵士、将校らを犯罪者扱いしていることになるため、これはもちろん受け入れ難いことになる。
東京裁判で戦犯とされた人物らの札が神社にある問題については私はこれらの人物らの供養を禁ずることが判決に源を発するものになるかどうかは法律の観点から見直し、見極めることができると思う。これが判決に源を発するとなれば、これら戦犯の札を靖国神社からはずすという裁判の決定をとらねばならない。私の知る範囲では戦争法廷で裁かれた者らについての墓碑ないし奉納札は法廷規約でも国際刑事裁判所の他の文書でも禁じられてはいない。少なくともこの問題は日本の法律の範囲で解決するべきものだ。」
なお記事の中で述べられている見解は、必ずしも編集部の立場とは一致していません。