ドラマはアンナ・カレーニナの死から約30年後の1904年に幕を開ける。満州のとある軍病院に、日露戦争の前線で戦い負傷したアレクセイ・ヴォロンスキイ大佐が担ぎ込まれる。するとそこで彼の治療にあたった医師は、運命のいたずらか、アンナの息子、セルゲイ・カレーニンだった。ヴォロンスキイは、セルゲイの強い願いにより、彼の母アンナへの自分の愛の物語を語る-このようにTVドラマは、不幸な愛の悲劇が、戦争の悲劇の上に重なって語られる設定となっている。
こうした自分の演出上のアイデアを実現するために、シャフナザーロフ監督は、トルストイの長編のあらすじばかりでなく、作家ヴィケンチイ・ヴェレサエフ(1867年-1945年)の中編小説「日本との戦争で」と「日本との戦争の話」を、その下敷きとした。ドラマの撮影は、モスクワにあるモスフィルムのスタジオでも、クリミアでも行われた。クリミアでは、日露戦争の出来事が再現された。シャフナザーロフ監督自身「自分はトルストイの長編のプロットを歪めなかった」と指摘している。しかし、二つの時代の中で事件が進行し展開してゆくという構造は、言ってみれば監督としての遊びであるが、彼の巧みな演出術だともいえる。彼は「自分はそのために、まさにヴェレサエフの作品を選んだのだ、ヴェレサエフは最も信頼のおける情報源である」と述べ、次のように強調した-「おそらくヴェレサエフは、日露戦争を芸術家の目で記録した唯一の人間だ。彼自身、作家でありながら従軍したからだ。」
「アンナ・カレーニナ」はこれまで、1910年のドイツ映画を初めとして、世界で約30回も映画化された。その中でも一番有名なのは、グレタ・ガルボがアンナ役を演じた1927年の米国映画だ。この映画には、アンドレイ・トルストイ伯がコンサルタントとしてついた。そして、これに劣らずよく知られているのが1948年に英国で撮られたもので、アンナ役はヴィヴィアン・リーが演じた。一方ロシア人にとって「アンナ・カレーニナ」としてすぐ思い浮かぶのは、タチヤナ・サモイロワが演じた1967年の作品である。