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先日、米国のティラーソン国務長官は国際世論を安心させるため、「米国は北朝鮮との戦争を望んでいない。爆弾が投下され始めないうちは、外交努力が続けられる」と述べた。しかしこの発言はどちらかと言えば「煙幕」に見える。なぜなら、この地域では大規模な軍事行動のための拠点が形成されつつあることがますます明瞭になってきているからだ。
軍事力の誇示に対して北朝鮮が弾道ミサイルの実験を行った、という前回の経験を無視して米国は、制裁こそが「万能薬」であると主張し続けている。米国は全世界が北朝鮮に圧力をかけることが不可欠だと考えているのだ。しかしヴォロンツォフ氏は、かつて日本に対してこの方法は機能しなかったと指摘する。「1940年代初め、米国は日本に対し金属と石油の供給制限を柱とする禁輸政策をとった。事実上の封鎖だった。米国政府は、制裁が日本に対し厳しい圧力をかける手段になると考えていたのだ。そしてまるで投げ縄を締めたり緩めたりするようにして、日本の振る舞いを米国にとって必要な方向に導くことができる効果を狙っていた。だが周知のように、日本はその投げ縄を引きちぎるという選択をした。そして真珠湾攻撃のあと、米国の何人かの外交官が『米国の計画には日本を挑発して侵略に踏み切らせる意図は全くなかった』と認めたときにはすでに遅かった。
興味深いことに、日本の北朝鮮経済専門家である三村光弘氏が、米ジョンズ・ホプキンズ大学が運営する北朝鮮分析専門サイト「38ノース」とのインタビューで、1941年の日米間の緊張状態と現在の状況を比較して、似たような考えをすでに示していた。「今米国は、多くの点で1941年の日本に似た政治制度を持つ国に対して、再び同じ道を歩んでいる。米国政府は北朝鮮への燃料輸送を完全に絶とうとしているのだ。米国は、北朝鮮が自国の核・ミサイル計画を終わらせることでこの圧力に反応することを望んでいる。だがもし、北朝鮮がこの核・ミサイル計画を自国の安全保障にとって不可欠だと考えているなら--私はそう確信しているが--北朝鮮は別の道、日本が1941年に選んだ道を選択し、先制攻撃に打って出るかもしれない。つまり、自分が勝利することはできないと分かっていても、外部からの攻撃に対し自衛するための十分な燃料がなくなってしまう前に戦争を始める、ということだ」。
かつて、事態改善を求める米国政府の意図が、日本政府の様々な行動を呼びこんできた。1937年、米国のルーズベルト大統領は日本を公然とは名指しせずに、侵略国を「隔離」するよう呼びかけた。1939年、米国は1911年調印の日米通商航海条約の一方的廃棄を通告した。さらにそののちルーズベルト大統領は、海軍力の一部を真珠湾へ、即ち日本列島により近い場所へ移転させる命令を下した。そして結局、すべては広島と長崎で終わった。
おそらく世界は、核問題をめぐる外交がそのような「成功」に終わることを夢見てはいないだろう。