スプートニク日本
1月1日、イスタンブールのナイトクラブで銃撃
新年を祝うパーティーの途中、イスタンブールのナイトクラブで銃撃があった。銃をもった男は入り口で警備にあたっていた警察官を殺害し、クラブに突撃して居合わせた客を撃った。39人が死亡し、69人が怪我をした。2週間後テロリストは逮捕されたが、取調べに対して男は「同じ事をまたやるだろう」と話した。
1月20日、トランプ氏、米国大統領に就任
億万長者のドナルド・トランプ氏がアメリカの第45代大統領に就任した。トランプ氏は、選挙運動中の突飛な発言(例えば、アメリカから200万人の不法滞在者を追い出し、メキシコとの国境に壁を建設するなど)によって有名になった。トランプ氏の就任早々から、ワシントンでは抗議活動が勃発した。
2月7日、ロシアとトルコ、通常の外交関係に戻る
2017年の間中、両国関係を穏便にするための外交努力がなされた。2月7日、プーチン大統領は、2018年3月に作業開始が予定されているガスパイプライン「トルコストリーム」建設を承認する法律に署名した。また秋に農業当局は、トルコ企業からの野菜の輸入を解禁し、厳しかったトルコ産トマトの輸入禁止が解除された。
北朝鮮のトップ金正恩氏の異母兄、金正男氏がクアラルンプールの空港で死亡した。警察は彼の遺体から神経ガスを検出。実行犯としてインドネシア人とベトナム人の女が逮捕された。金正男氏はマカオに住んでビジネスをしており、政治とは距離を置いていた。
2月20日、ロシアの国連大使、ヴィタリー・チュルキン氏が死去
ロシアの国連大使、ヴィタリー・チュルキン氏が、65歳の誕生日を迎える前日にニューヨークで亡くなった。チュルキン氏は2006年から国連大使を務めていた。前国連事務総長代理のセルゲイ・オルジョニキーゼ氏によれば、チュルキン氏の死因は心不全だということだ。
3月20日、米国大統領選挙におけるロシアの「介入」に関する捜査
米議会で、米国大統領選挙におけるロシアの「介入」に関する初の公聴会が行なわれた。ロシア側は幾度となく、選挙介入を否定してきた。米国議会とFBIはトランプ氏とロシアの繋がりについても疑い捜査しているが、ホワイトハウスもクレムリンも、これを否定している。
テロリストがウェストミンスター橋上で自動車を暴走させて人を轢き、車を捨てて宮殿敷地内へと侵入し、警察に止められた。5人が死亡し50人以上が怪我をした。この後ロンドンでは5件のテロが発生し100人以上が被害を受けた。
4月3日、サンクトペテルブルクの地下鉄で爆破テロ
サンクトペテルブルクの地下鉄で爆破テロが起こりテロ実行犯のアクバルジョン・ジャリロフを含む16人が死亡した。50人以上が怪我を負った。もうひとつの爆発は未然に防ぐことができた。「蜂起広場」駅で見つかった未爆発の爆弾は、車用消火器の下に隠されていた。
5月7日、フランス大統領選挙
政治運動「前進」を率いるエマニュエル・マクロン前経済大臣がフランスの新大統領に選ばれた。マクロン氏は66,1%の票を獲得した。彼のライバル、「国民戦線」のマリーヌ・ルペン党首は、33,9%を獲得した。
5月12日、大規模なサイバーアタック
数種のコンピュータ・ウイルスが、世界中の会社のIT担当者たちを驚き震え上がらせた。国家機関も例外ではない。「WannaCry」「Petya」「NotPetya」「BadRabbit」といったウイルスのせいで使い物にならなくなったコンピュータを使用可したり、暗号通貨を買い戻したりする必要に陥った。ロシアのコンピュータは主に「WannaCry」と「BadRabbit」にやられた。10月末、ロシアには近年、サイバーアタックをされたときに備えての大規模な保険市場が登場するだろうと報じられた。
アメリカの歌手アリアナ・グランデのコンサートが終わった直後、大規模な爆発が起き、22人が死亡し、59人が怪我をし入院した。自爆テロを実行したのはリビア系イギリス人サルマン・アベディ。イスラム国(IS)が犯行声明を発表した。
6月5日、カタールをめぐる外交危機
サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、そしてエジプトは、カタールがテロを支援しているとして、カタールと外交関係を断絶すると発表した。カタールには衛星テレビ局「アル・ジャジーラ」の閉鎖を様々な条件がつきつけられたが、カタールは要求を拒否し、テロ支援疑惑について否定した。イランとトルコはカタールを村八分にすることを支持せず、クウェートは問題解決のための仲介役をつとめた。
6月16日、元ドイツ首相ヘルムート・コール氏が死去
ヘルムート・コール氏は87歳で死去した。コール氏は1982年から98年まで4期連続で首相の任を務めた。これはドイツの歴史上最長記録だ。コール氏はベルリンの壁が崩壊した後、東西ドイツを統一することに奔走した。結果、1990年にドイツはふたたび統一国家となった。