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- 日本と米国の死刑執行方法
先進国の中で死刑が存続しているのは日本と米国だけであるが、やはり両国の間でも状況は異なっており、その相違点は執行方法だけにとどまらない。米国では多くの州で、死刑執行に犯罪者の親族だけでなく、被害者側やマスコミも立ち合うことが許されている。こうすることで人々が考え、社会が議論するようになるのである。死刑を廃止したりモラトリアムを宣言したりする州は増加している。現在、50州のうち30州で死刑が存続している。が、多くの州で、死刑は法制度上こそ存続しているものの、実際には執行されていないのである。日本では、死刑執行に立ち合うことはできない。親族は執行後に死刑囚の遺体を引き取り、自らの判断で埋葬することができるだけである。
死刑執行までに長い待ち時間を設けることが日本の刑法制度上のひとつの条件である。この間に殺人の新たな状況が明らかになり、死刑囚が無罪になることも理論上は可能だ。しかし、判決の99%が最終的には正しかったと判断される。過去50年で死刑判決が冤罪であったことが判明したのは一度だけ。かの有名な「足利事件」である。62歳の幼稚園バスの運転手・菅家利和氏が、DNA鑑定の悲しい間違いのせいで、1990年5月に4歳の女の子を殺害した罪で、17年間、死刑囚として監獄の中で過ごしたのである。
- 死刑囚を扱う経験
その一人が、映画監督で作家の明治大学教授・森達氏である。彼には『死刑』や『死刑のある国ニッポン』といった著作もある。森達氏は自らの論文や著書の中で、かつては自分も、多くの日本人と同じように、次のような考えを持っていたと告白している。「殺人を犯した人間に死刑が執行されるのは普通のことである、なぜならその人間は他人の命を奪ったのだから。」しかし、このテーマで情報収集を始め、オウム真理教のメンバーを含め、多くの人々に会う中で、彼は自らの考えを見直し、最も確信的な死刑廃止論者の一人となった。森達氏によると、犯罪者の生命を剥奪する論理的な根拠はないのだという。彼は言う。多くの日本人は、死刑が犯罪を抑制していると考えているが、これは間違いである。なぜなら、もしそうだとすれば、2/3の死刑廃止国は犯罪状況の急激な悪化に直面しているはずだからだ。しかし、統計はそうはなっておらず、社会学者も正式に、死刑は犯罪抑制の有効な手段ではないと述べている。
- 「国家の法制度は感情に基づいたものであってはならない」
ロシアでは、死刑は法律上は廃止されていないが、1996年にロシアが欧州評議会に加盟して以来、死刑執行のモラトリアムが発動されている。しかし、2017年2月のレヴァダ・センターの世論調査によると、ロシア国民の44%が死刑を支持しており、41%が反対であった。
同氏によると、テロの昂揚を受けて、死刑を復活させようとする国もあるという。「死刑が必要だという社会的風潮はいつも、特に凶悪な犯罪やテロに対する感情に支配されています。しかし、死刑でテロリストを怯えさせることはできないということを考慮しなくてはなりません。死刑に怯えて、ジハードをやめるだろうなどと考えるのは浅はかです。」
ヴィタリー・クワシス氏は次のように言う。「日本は死刑を廃止していませんが、死刑が言い渡されることは稀であり、執行されるケースは更に少ない。死刑判決が下されるのは特に凶悪性のある殺人の場合のみです。日本の死刑件数は、例えば、高官による多額の横領や汚職で死刑を執行する中国などと比べると、極めて少数です。しかも、中国では、死刑囚の数に関する公式統計は非公開なのです。」
アムネスティ・インターナショナルによると、死刑が適用され続けている国は絶対的少数派だという。2017年に死刑を執行した国はわずか23ヶ国である。106ヶ国が死刑を完全に廃止しており、数十ヶ国では、死刑判決の可能性は法制度上は維持されているものの、実際には適用されていない。アムネスティ・インターナショナルは1977年、全ての国の政府に対して死刑の完全廃止を呼びかける宣言を採択している。