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16〜19世紀にかけてフィリピンはスペインの統治下にあった。フィリピンという名称は1543年、当時のスペインのフェリペ皇太子にちなんだもの。「マハルリカ」については、フィリピン国立歴史委員会がサイトで説明するところ、サンスクリット語で「高貴」や「偉大」を意味する「マハ」と「創造する」を意味する「リカ」からなっている。スペインによる植民地化まで、多くの東アジア諸国はインド文化の影響が強く、言語も影響を受けずにはいられなかった。
だが「アジアのトランプ」とも国外メディアであだ名されるドゥテルテ氏が目標達成のために見せる頑固さは筋金入りだ。熾烈な麻薬戦争を行うドゥテルテ氏は、超法規的措置で非難されようともそれを跳ね除ける。南部ミンダナオ島では武装勢力「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」が独立を試みていたが、ドゥテルテ氏は和平を約束した。そして数日中に住民投票の結果が公表される。結果によってはミンダナオ島に待望の平和が訪れ、MILFメンバーは公的治安機関に移る可能性がある。
フィリピンのパネロ大統領報道官は改名に関して「進展を見てみましょう。彼(ドゥテルテ氏)はいつもどおり、また考えを表明します」と述べた。
ドゥテルテ氏はマハルリカ初代大統領になるのか?それとも実現しないまま終わるのか?スプートニクはモスクワ国際関係大学付属ASEANセンター所長、ビクトル・スムスコイ歴史学博士に話を伺った。
「マハルリカ」は現在フィリピン社会に馴染みないものではない。例えば愛国主義的内容の人気曲の曲名は「Ang dugo'y Maharlika(マハルリカの血)」だ。この単語は昨年8月、同国の準プロバスケットボールリーグ「Maharlika Pilipinas Basketball League (MPBL)」にも用いられた。