このコンサートは、国際民族楽器職人フェスティバルのプログラムの一部として開催された。北川さんが今回共演した「ネクラーソフ記念民族楽器オーケストラ」は、ロシアを代表する楽団で、北川さんにとって昔から憧れの存在だ。日本でもアルバムを出しており、バラライカを志した当時には、毎日CDを聞いていた。もちろん日本人がこのオーケストラをバックに演奏した前例はない。北川さんは「非常に名誉なことで、二つ返事で引き受けました。もし彼らとの共演でなければ、モスクワには来なかったでしょう」と話す。
父との思い出の曲「グロテスクと瞑想」
そんな大切なコンサートのために北川さんが選んだのは、最も得意とする曲のひとつ「グロテスクと瞑想」だ。バラライカのために作られたこの曲には躍動感が求められ、細かいところに微妙なテクニックを入れないと、つまらなくなってしまう。
留学一年目のこと、つとむさんの誕生日に、ダニーロフ氏は「君の父さんの誕生日祝いをしよう」と言って、日本にいるつとむさんに電話をかけた。そして北川さんが電話越しに演奏したのが「グロテスクと瞑想」だったのである。その後しばらくして、つとむさんは急逝してしまった。
北川さん「父にとってはそれが最後の誕生日になりました。電話越しですけど、僕の演奏をちゃんと聞いたのはそれが最後じゃないかな。普段はあまりほめない父なんですけども、うまくなったな、ってすごくほめてくれて。それが今でも心の中に残っています。」
ロシア民謡研究家で指揮者の祖父、バラライカ奏者の父というロシア音楽一家に育った北川さんだが、むしろ子どもの頃はロシア民謡は古くさくて嫌いだった。しかし17歳のときに、つとむさんが立ち上げた楽団「東京バラライカアンサンブル」と一緒にロシアを訪れてバラライカの魅力に触れ、ロシア音楽の素晴らしさを実感した。その後はプロを志してロシアで研鑽を積み、ロストフ音楽院在学中の2008年には、国際ロシア民族楽器コンクールのバラライカ部門で外国人として初めて優勝した。2009年に本帰国した後は北川記念ロシア民族楽器オーケストラを設立。バラライカの人気を高めるべく、各地でコンサートや指導を行なっている。
楽器選び「僕は浮気できないタイプ」
バラライカはロシアの民族楽器だけに、日本での入手が難しい。北川さんは、自分用に加えて、オーケストラのメンバーや教え子のために、良い楽器があれば買って帰るつもりだ。しかし楽器との出会いは一期一会で、そう簡単に出会えるものではないという。
北川さんが愛用しているバラライカは、楽器職人ワレリー・グレベンニコフさんが作ったもので、2001年にロシアに来たときに、つとむさんが買ってくれたものだ。以来、それを使い続けている。
北川さん「僕は浮気できないタイプで(笑)もう15年くらい新しい楽器を探していますが、なかなかこれというものに出会えません。曲によってバラライカを使い分ける人はいますが、僕はそこまで器用じゃないんです。一時期、父が使っていた形見のバラライカも弾いていたことがあるんですけど、やはり初恋の人に戻っちゃいますね。」
外国人だから伝えられるバラライカの魅力
北川さんは15年以上日本で演奏活動をしているが、どこの会場に行っても、バラライカを初めて聴くという人が多い。すると、コンサートの曲目も、わかりやすいロシア民謡などが多くなってしまい、「攻める」演奏をする機会が少なくなってしまう。
北川さん「日本では一人の演奏家として、攻撃的にやることが少ないです。今回のコンサートでは、会場の半分くらいは民族楽器関係者、プロの皆さんです。もちろん日本では、こういう方たちの前で弾く機会は全くないので、独特の緊張感があって初心に戻ることができます。ほとんど誰もバラライカを知らない日本で、一人で広めようと努力しても、モチベーションを高いまま保つのが難しいこともありますが、ここでは多くの音楽家の演奏を聴くことによってモチベーションも上がります。ロシアには、エネルギーをもらいに、情熱を取り戻しに来ているのかもしれません。」
外国人でありながら、まるで自分の身体の一部のようにバラライカを弾く北川さんの演奏は、こだわりの強いロシアの聴衆にも感銘を与えたようだ。筆者は、杖をつきながらも、傾斜の急なコンサートホールの階段を颯爽とのぼる80代の男性に感想を聞いた。
「とても良い出来だったよ。彼は表現力にあふれている素晴らしい演奏家だ。オーケストラもそうだけど、彼の演奏にはよどみがないから、彼が発するひとつひとつの音を追っていくことができる。こういうコンサートには、身体が許す限り通いたいね。」
やはり定期的にコンサートに通うという女性二人組は、「素晴らしい演奏でした、あなたの日本のお仲間は本当に私たちを喜ばせてくれた」とわざわざ声をかけてくれた。
北川さんは「民族音楽というと古いイメージがありますが、僕みたいな異国の地の日本人がバラライカを広めることによって、ロシアや世界中の人たちがバラライカって素晴らしい楽器なんだ、と思ってくれれば。僕がその起爆剤になれれば嬉しいし、ロシア人ではないからこそ、できることがあるんじゃないか」と話している。