これはロシア市民にとって重要な発表である。戦争はソ連の人々に膨大な損失をもたらした。そのため何十年にもわたって大祖国戦争の戦勝記念日は旧ソ連圏、そしてロシアにとって重要な祝日であり続けている。今年は不可抗力が生じたが、人間の健康の方が大事だ。通信社スプートニクは、戦勝記念日はどのようにして誕生したのか、また、その歴史の中で起こった変化についてご紹介する。
戦勝記念日の歴史は、ナチス・ドイツとの戦争が終結した1945年にさかのぼる。5月7日、ドイツは無条件降伏文書に署名した。この文書はモスクワ時間5月9日に発効した。勝利を記念して5月9日22時にモスクワで壮大な花火が打ち上げられた。そして6月24日、モスクワの赤の広場で最初の歴史的なパレードが行われた。このパレードにはソ連の元帥、ゲオルギー・ジューコフも出席した。パレードは、敗北したナチス・ドイツの国旗や軍旗200本が下に向けて運ばれた時にクライマックスを迎えた。太鼓の連打音が鳴り響く中、特別に設置された台の上に旗が投げ入れられ、その後、遠くの試射場に運ばれて燃やされた。当初、戦勝記念日は休日だった。しかし1947年に休日は撤回された。スターリンのイニシアチブだった。これについては、戦時中に英雄的行為を示したジューコフやその他の有名な司令官たちの人気の高まりを、スターリンが自分のポストへの直接の脅威として認識し始めたからだという見方がある。戦勝記念日は17年にわたって休日として扱われなかった。しかし、花火と退役軍人の祝賀会は続けられた。
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勝利から20周年を迎えた1965年、戦勝記念日は再び休日になった。当時の性格的特徴は、スターリン賛美の拒否だった。加えてソ連では、映画の中でしか戦争を見たことのない世代が成長し、戦争の詳細は忘れ去られ、戦争の生き証人たちは高齢化した。そして戦勝記念日の地位が著しく高まった。モスクワやその他の大都市では軍事パレード、花火、退役軍人の集会が戦勝記念日のつきものとなった。
2015年5月のパレードは、まことに壮大なものだった。このパレードは、終戦70周年を祝う中心的なイベントとなった。パレードには10カ国の外国人兵士700人以上を含む1万6000人の兵士が参加し、30カ国以上の首脳が出席した。
戦勝75周年の今年2020年のパレードは、それに劣らない大規模になるはずだった。ロシアのショイグ国防相は2月10日、パレードには1万5000人の兵士と400以上の戦車、最新の地対空ミサイルシステム、防空システムなどが参加すると発表した。
おそらく、戦勝記念パレードは、新型コロナウイルスとの戦いに勝利した後、開催されることだろう。なお、新型コロナの世界的大流行は地球規模の戦争といった性質を持ったが、この「戦争」では、すべての人類が味方として一緒に戦っている。