拉致問題が大きく動いたのは2002年9月。小泉純一郎元首相が北朝鮮を訪問したときである。訪問を前に、小泉元首相は、日本人拉致被害者の安否に関する説明がなければ、日朝の国交正常化はなく、経済支援もないと言明。北朝鮮はこれを聞き入れ、当時の金正日総書記は拉致の事実を認め、謝罪したが、事件は特殊機関の一部が政府指導部の承認を得ずに、妄動主義、英雄主義に走って行ったものだと説明した。この問題に関する日朝平壌宣言では、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることのないよう適切な措置をとることを確認した」と記されている。そのとき北朝鮮は、13人の拉致被害者がいることを確認し、そのうちの5人が生存しており、残る8人はさまざまな理由により死亡したと述べた。のちに、この5人は帰国を果たしている。
2004年に北朝鮮は、日本に対し、日本人被害者数人が死亡したことを裏付ける「物的証拠」として、横田めぐみさんと松木薫さんの遺骨を引き渡した。しかし、日本でDNA鑑定を行った結果、北朝鮮が提出した遺骨の一部は別人のものであることが判明した。北朝鮮はこれは煽動的行為だとしたが、遺骨が本人のものかどうかについて激しい論争が続いた後、北朝鮮は、拉致問題においてこれ以上は譲歩できない、これ以上の進展はありえないとの立場を明らかにした。そして、その後実施された協議は成果をもたらさなかった。2014年に、横田めぐみさんの両親がモンゴルのウランバートルでめぐみさんの娘、ウンギョンさんと対面することが許され、政府間協議も再開された。しかし、それでも双方は問題を解決することはできなかった。
日本は世界でもっとも安全な国だとされていますが、どのような国においても、人が消息を断つという事件は起こるものです。しかし、たとえ北朝鮮がそれを望んだとしても、実際に拉致してもいない人物を引き渡すことなどできません。そして拉致していないということを証明することもできないのです。それほど、日朝間の不信感は深すぎるのです。完全なる袋小路だと思います」。