移住後の那津実さんは大学でロシア語を学び始めるとともに、サンクトペテルブルクにおけるインターナショナル・ウーマンズクラブ(IWC)に参加し、2017年5月からは会長を務めた。年齢もライフスタイルも全く異なる外国人女性が数百人もボランティアとして集い、様々な行事を企画・運営する。那津実さんは「意見が集約できなさすぎて、日本の仕事の方が楽だったなと思うくらい大変でしたが、とても面白い経験でした」と振り返る。この活動を妊娠・出産をまたいで継続していたのだから、驚きだ。
赤いものはダメ?
サンクトペテルブルクに来てわりと早い段階で第一子を授かった。ロシアでは多くの場合、定期健診を受ける診療所と産院が完全に分かれている。早い時期から分娩予約ができる日本と違って、ロシアの場合は出産間際にならないと産院を決めることができない。「どういう産み方になるかわからないから、早く来られても困る」というわけだ。最後の妊婦健診が終わって、母子の健康状態に関する全ての資料が揃って初めて、産院を予約できる。
定期健診はたまたま近所の診療所に人柄の良い先生がいたため、那津実さんいわく「サバイバル言語能力」を生かしてコミュニケーションを取った。ただし迷信が多く、「妊娠・授乳中は、トマトやビーツなど、赤いものを食べてはダメ」と言われていた。「科学的な根拠はないと思うんですが…お医者さんだけでなく、普通の若い女性の友人にも赤いものはダメと言われて、謎だな、面白いと思いました。」
3か所の産院を体験、医師の指名システム
2017年9月に長男が誕生。初出産にあたっては、英語が話せる医師のいる、町で一番高級な私立の産院を選んだ。部屋はホテルのようで、総額で30万ルーブル(約46万円)以上かかったが、サービスはやはり一流だった。
そのおよそ2年後、次男が生まれた。第二子の出産にあたっては、最初の産院の医師が別の私立病院に転院したため、またその医師に頼むつもりだった。しかし予定日が医師の夏季休暇と重なり、担当してもらえなかった。支払いの段階になって判明したのが、最初に提示された料金20万ルーブルのうち、5万ルーブルが指名料だったということだ。那津実さんは「最初の先生を指名したくてもできなかったし、他の知らない先生を指名する理由もなかったので、結果的に「指名なし」でいくと、15万ルーブルですみました。日本とのシステムの違いに驚きです」と話す。
三男は今年生まれたばかり。今回は公立病院での出産にのぞんだ。友人が出産したという評判の良い病院で医師を紹介してもらったが、ここでも休暇の壁にぶちあたった。
産院選びは、病院設備を選ぶという要素以上に、医師選びが重要だ。ロシアには医師の評判を比較する口コミサイトがたくさんあるが、同じ医師でも5つ星だったり、1つ星だったりと評価が入り乱れ、那津実さんは「相性によるところが大きい」と分析する。「先生が良くても受付の対応が悪いなど、選び出すとキリがなくなるので、バランスが難しいし、産院探しには時間もお金もかかりました。これからペテルブルクで出産する人がいたら完全にガイドできます」と話す。
最終的に公立病院では、医師のほか知人に紹介してもらった助産師も指名し、総額8万ルーブル(約12万円)で契約した。コロナ禍なのに二人一部屋だったが、それ以外は特に問題はなかった。事前に契約することで医師の電話番号がもらえ、何かあればメッセンジャーアプリで質問でき、返信もすぐ来る。那津実さんにとってこれはありがたいサービスだった。
食費以外は無料の幼稚園
3歳の長男は現在、ロシアの公立幼稚園に通っている。那津実さんはその内容に満足している。
那津実さん「ロシアの出生証明書があるので、ロシア国籍でなくても、入園予約ができました。出産直後に申請に行ったら、今すぐ第三希望まで書いて、と言われたので、急いで家の近くの幼稚園を調べて、希望を出したんです。いよいよ順番が来たら、全然希望してなかったところで、あれは何だったんだろうと(笑)うちは4時まで利用していますが、最大で朝7時から夜7時まで預かってもらえます。朝食、昼食が出て、お昼寝して、おやつも食べて帰ってくるので、ロシアって本当に、親が労働する仕組みなんだなと思います。月に最大で1300ルーブル(約2000円)ほど食費がかかりますが、それ以外は無料なので、ありがたいです。」
公立幼稚園は条件的には良いが、コミュニケーションは完全にロシア語のみ。思いがけず他人から冷たい仕打ちを受けて心が折れる瞬間があっても、親としてはしっかり自己主張しなければならない。
那津実さん「優しい人、助けてくれる人もたくさんいるんですが、時々非情な人、わけもなく冷たい人がいるので、気分が落ちこんでいるときにそういう対応をされると辛いです。それがなければ、ロシアは本当に良い国なんですけどね。」
家で過ごす楽しい時間
ロシアでは、ビザの問題が常につきまとう。寛さんは、日露のスタートアップやIT企業を支援する会社「SAMI」の創業者で、自身でもピッチ動画の生成・収集・管理を行うプラットフォームを手がけるスタートアップを立ち上げている。しかし、新会社に紐づいた就労ビザを延長するはずが、きちんと移民局に会社の審査をしてもらえず、ビザの延長ができないというアクシデントがあった。このままでは日本に逆戻りになってしまう。寛さんは正当な評価を求め、移民局の前で出入りする人を待ち伏せし、再審査にこぎつけて事なきを得たことがある。寛さんは「もし家族なしで一人だったら、あそこで心が折れていたかもしれない。きっとここまで頑張れなかった」と振り返る。
転勤以外でロシアに長期滞在する日本人はロシア人と結婚しているケースが多く、牧野さん一家のように、日本人家族だけでサバイバルする例はまだまだ珍しい。一家は、ロシアに加えて、IT大国として知られるエストニアなど近隣国をベースにした二拠点生活も検討しており、コロナが収束したら家族で見に行きたいと考えている。チャレンジャー精神に満ちた牧野さん夫妻。子どもたちも含め、これまでのロシアのイメージにとらわれない柔軟なライフスタイルで、ロシア生活を楽しんでいる。