ロシア初の日本人プロアイスホッケー選手、佐藤優さんインタビュー 2度の運命の出会いとロシアで得た意外なもの

© 写真 : Hockey club «Torpedo» 佐藤優さん
 佐藤優さん - Sputnik 日本, 1920, 14.10.2022
独占記事
アイスホッケーの人気が高く世界的な強豪選手がひしめき合うロシア。そのロシアを拠点とするKHL(コンチネンタル・ホッケーリーグ)で日本人の佐藤優さんがプロ入りしたことは、ロシア人に驚きをもって受けとめられている。現在20歳の佐藤さんは今シーズンからニージニー・ノブゴロドを拠点とするチーム「Torpedo」(トルペード)と契約し、先日の公式試合では初ゴールを決めた。佐藤さんがKHLで日本人初のプロになるまでの軌跡と、ロシアで目指すものについて話を聞いた。

モスクワにアイスホッケー留学

埼玉県出身の佐藤さんは、父の指導を受け、幼少からアイスホッケーを始めた。転機が訪れたのは11歳のとき。ソ連の伝説的なホッケー選手で、当時県内の高校でゲストコーチをしていたワシーリー・ペルーヒン氏に、「彼は才能がある」とロシア行きを打診されたのだ。佐藤さんはモスクワにあるジュニアチームに所属することになった。
「ロシア語も英語もわからず、ロシアがどんな国かも知りませんでした。ちょっと怖いイメージでしたが、行ってみたら全然違いました。ロシアで初めてチーム練習に混ぜてもらったとき、自分と同い年で上手い選手がたくさんいることに刺激を受け、挑戦心がわきました。その時、プロを目指すと決めました」
ホッケー留学のためのロシアビザは3か月間しか出なかったので、まずは父が付き添い、3か月を過ごした。ビザが切れるといったん帰国し、今度は母と一緒に、またモスクワで3か月を過ごす。両親は交代での付き添いを5年間繰り返した。当初は日本人学校に通ったが、中学からはホッケーリンクに近い現地校に入り、ロシア人の先生やクラスメイトに助けられながら勉強を続けた。日本では週2だった氷上練習は、モスクワでは毎日ある。佐藤さんはアイスホッケー三昧の生活を満喫していた。
佐藤さんは当時を振り返り「自分の好きなことができていたので、モスクワ生活は楽しい思い出しかありません。僕は楽しんでいただけですが、両親は本当に大変だったと思います。二人のサポートがなければここまで来れなかったので、結果で恩返ししたい」と話す。
© Hockey club «Torpedo»KHL 初ゴールを決める佐藤さん(右)
KHL 初ゴールを決める佐藤さん(右) - Sputnik 日本, 1920, 13.10.2022
KHL 初ゴールを決める佐藤さん(右)

代理人、将来の監督との運命的な出会い

ペルーヒン氏の導きでロシアにやって来た佐藤さんには、もうひとつ運命的な出来事があった。佐藤さんが15歳の時から代理人としてサポートしてくれたイーゴリ・ラリオノフ氏(現トルペード監督)との出会いである。ラリオノフ氏は、ソ連アイスホッケーのレジェンドとして、オリンピックや世界選手権、カナダカップなど、世界タイトルの頂点を総なめにしてきた数少ない存在だ。
当時ラリオノフ氏はアメリカ・デトロイト在住だった。ロシアに里帰り中、ジュニアの試合で偶然佐藤さんを発見した。ラリオノフ氏は、本来は別の選手を見に来ていたが、対戦チームにいた佐藤さんのプレーに目をつけ、試合が終わるとすぐさま電話をかけてスカウトしたのだった。
その後、佐藤さんはラリオノフ氏の仲介で、フィンランドでプレーすることになり、更にカナダ、アメリカと、世界を股にかけることになる。国際経験豊かな佐藤さんは、国によってプレースタイルが違うことを実感している。
「北米はガツガツしたホッケーで、敵にプレッシャーを与えるような攻め方をするので、観客席が盛り上がります。ジュニアチームでプレーしていたときは、毎試合乱闘があるような激しい試合展開でした。ロシアは真逆で、芸術的なホッケーです。パスをつなぎ、相手を崩しながら攻めるので、見ていてとても綺麗なんです。自分は昔からそういう芸術的なホッケーが好きでした。日本人は体格のハンデがあるので、ロシアのホッケースタイルを真似たほうがいいんじゃないかと思います。フィンランドは両方が混ざった感じですね。自分は同年代の他の選手に比べたら、色々なホッケーを見てきているので、そこはひとつのアドバンテージかなと思います」
© 写真 : Hockey club «Torpedo»10月9日、ミンスク「ディナモ」との対戦後、笑顔を見せる佐藤さん
10月9日、ミンスク「ディナモ」との対戦後、笑顔を見せる佐藤さん - Sputnik 日本, 1920, 13.10.2022
10月9日、ミンスク「ディナモ」との対戦後、笑顔を見せる佐藤さん
3年前にラリオノフ氏がアイスホッケーロシア代表の監督(※監督になると代理人の仕事と兼務はできない)になったことで、代理人と選手という関係は解消されたが、ふたりは連絡を取り続けていた。
佐藤さんは今年の夏までアメリカのトップジュニアリーグUSHL(ユナイテッド・ステイツ・ホッケーリーグ)にいた。USHLは21歳までプレーできるので、もう一年残り、アメリカでプロを目指すという選択肢もあったが、ラリオノフ氏から「自分はトルペードの監督になる。トライアウトに挑戦してみないか」と声がかかった。
周囲の人からは「なぜロシアに?」と言われたが、佐藤さんは「自分のキャリアにとって何がベストか熟考して決断しました。子どもの頃から目標にしていたKHLでプレーできることもそうですし、何よりプロを目指せるオファーが来たからには挑戦しようという気持ちでした」と話す。
© 写真 : Hockey club «Torpedo»「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん
「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん - Sputnik 日本
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「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん
© 写真 : Hockey club «Torpedo»「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん
「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん - Sputnik 日本
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「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん
© 写真 : Hockey club «Torpedo»「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん
「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん - Sputnik 日本
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「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん
© 写真 : Hockey club «Torpedo»「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん
「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん - Sputnik 日本
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「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん
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「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん
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「トルペード」のフォワードとしてプレーする佐藤さん

シビアなトライアウト合宿

監督に声をかけられたからといって、そのままチームに入れるほど甘くはない。今年、トルペードのトライアウト合宿には約50人の選手が参加した。30人の選手登録枠をめぐって各自がチームにアピールする。佐藤さんは最後まで残り、1年間の契約を勝ち取った。
「約2週間の合宿で、毎日氷上練習と陸上トレーニングをしました。親しくなった人がカットされていくと、次は自分かと思って、精神的にきついです。最終日にカットされた人もいて、本当に厳しい世界です。これはジュニアの時からで、上で活躍していないと下の選手がどんどん上がってきます。あまり考えたくはないですけど、チームメイトもライバルです。もちろんロシアに来たのはアイスホッケーのためですが、ホッケーの技よりも、ロシアで一番鍛えられたのは精神力です」

憧れの選手と対戦する不思議

晴れてプロ選手になった佐藤さん。ロシアのスポーツメディアは希少な日本人である佐藤さんの一挙手一投足を取り上げている。だが、その実感がわいてくるのはこれからのようだ。
「まだプロという環境に慣れていなくて、不思議というか、信じられない気持ちのほうが大きいです。小さい頃に憧れていた選手と対戦する機会もあり、その人たちと同じ土俵に立ってプレーできることは夢のようです。チームの中にも自分が目標にしていた選手がいて、そういう人たちに声をかけてもらうだけでも嬉しいです。彼らのようになりたいと思いつつも、負けたくない気持ちがあります。
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KHLには、気持ちの上では、日本人代表として来ています。今まで日本人が足を踏み入れてこなかったリーグなので、僕がきっかけになって、今後このリーグでプレーする日本人が増えればいいなと思います。そもそもアイスホッケー自体、日本にいると見る機会が少ないので、自分が外国で活躍することでアイスホッケーが少しでもメジャーなスポーツになればいいなという気持ちです。アイスホッケーは本当に面白いんですよ!」
最終的には、かつてラリオノフ氏がそうしたように、世界最高峰である、NHL(ナショナルホッケーリーグ)でプレーすることを夢見ているが、まずはトルペードで結果を残すことにこだわる。「プロは結果が全てですから、チームに貢献して、そして自分の成績も上げていきたいです。一年契約なので先のことはわかりませんが、学ぶことの多い一年になると思います。早く慣れて、チームの主力になりたい」と話す。

家族同然に見守るペルーヒン氏、エールを送る

幸運にも、本稿の筆者は、佐藤さんをロシアへと導いたペルーヒン氏と一緒に、試合を観戦する機会に恵まれた。ペルーヒン氏は試合の合間に、自分の娘と小さい頃の佐藤さんが一緒に写った写真を見せてくれた。
「優がロシアに来たのは11歳ですが、それよりも前、彼に注目したのは7歳のときからです。スケートもスティックさばきも抜群に上手くて、子どもたちの中で飛び抜けていました。私は優の第二の父親のように感じています。家族みんなで怪我をしないか心配して、そして応援しています。これまで達成したことに満足しないで、止まらず、前へ、とにかく前へ進んでほしい」
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