【解説】ポルト・アルトゥル奇襲攻撃と宣戦布告なき戦争 露日戦争は歴史の教訓となったのか、それとも繰り返されるのか

© 写真 : Public domainポルト・アルトゥル攻防戦
ポルト・アルトゥル攻防戦 - Sputnik 日本, 1920, 10.02.2023
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119年前に開戦した露日戦争は、20世紀前半の歴史における大きな転換点の1つとなった。1904年2月9日、日本艦隊はロシアのポルト・アルトゥル(旅順、ポート ・ アーサー)に奇襲攻撃を仕かけた。翌日、日本はロシアに宣戦布告し、ポルト・アルトゥルを巡る戦いは露日戦争において最も長い戦闘となった。ロシアによる英雄的な港の防衛は329日間続いた。ここで、日本側が再びこのような行動を起こす可能性はないのだろかという疑問が残る。日本の指導部は同国で5月に開催されるG7サミットに向けて入念な準備を行っている。また日本は段階的な軍事化を進めており、これは戦争反対のレトリックへのコミットメントを示していない。

露日戦争の主な原因はなんだったのか?

主な原因となったのは、ロシアと日本の利益相反だった。日本とロシアは満州、朝鮮、黄海の支配権をめぐって戦った。ロシア帝国は日本の朝鮮支配権を承認し、その代償として日本に満州への干渉の一切の放棄を要求していた。これが露日戦争の大きな引き金となった。ロシア帝国と中国の間で、遼東半島とポルト・アルトゥルの海軍基地としての租借合意が成立したために、状況はさらに悪化した。
1904年~1905年の露日戦争の最も重要な出来事:
1904年2月9日から1905年1月2日にかけて行われたポルト・アルトゥル攻防戦。1904年2月9日にかけての深夜、日本艦隊は海軍基地ポルト・アルトゥルのロシア艦隊を奇襲攻撃した。しかし、ロシア戦隊を1回の奇襲攻撃で殲滅することはできなかった。ロシア艦隊は敵の大規模な部隊を約1年間釘付けにし、ロシア軍を早急に壊滅させるという敵の計画を挫折させた。
1904年8月24日から9月3日に行われた遼陽会戦。陸上における最初の大規模な戦闘により、ロシア軍は奉天まで後退した。ロシア側は1万6000人以上、日本側は2万4000人を失い、双方ともに大きな損失を被った。奉天への撤退は、ポルト・アルトゥルの守備隊にとって、地上部隊からの何らかの有効な支援に対する希望が崩れ去ったことを意味した。結果、ポルト・アルトゥルは1905年1月2日に陥落した。
1905年2月21日から3月10日にかけて行われたムクデン(奉天)会戦。第一次世界大戦前の人類史上最大の陸戦となった。ポルト・アルトゥルの陥落は、ロシア軍の戦略的立場を急激に悪化させた。1905年3月10日、日本は奉天を占領した。捕虜を合わせたロシア側の死傷者は9万人以上にのぼり、ロシア軍は混乱の中、北へ撤退した。
1905年5月27日から28日にかけて行われた対馬開戦。ロシア艦隊の6倍の規模の日本艦隊がロシアのバルチック戦隊をほぼ完全に殲滅した。ウラジオストクにたどりつけたのはわずか巡洋艦1隻と水雷艇2隻のみだった。
初夏、日本は北朝鮮からロシア部隊を完全に追い出し、7月8日までにサハリンを占領した。1905年8月、M.N.リャプノフ中将率いるロシア軍の主力は、武器を置いて降伏した。

日本の完全勝利

日本が勝利し、ロシアの艦隊と軍が完全に粉砕された後、1905年9月5日にポーツマス条約が調印された。ポーツマス条約により、ロシアは遼東半島の租借権と南満州の鉄道の利権、サハリン島の南半分を日本に譲渡した。ロシア軍は満州から撤退し、朝鮮は日本の勢力圏として認められた。

日本が目指しているのは軍事同盟への参加=専門家

ロシアの歴史家で日本学者のアナトーリー・コシキン氏はスプートニクのインタビューに応じ、今日では1904年の出来事と非常によく似た例を挙げるのは難しいが、日本が北大西洋条約機構(NATO)NATOに接近し、自国の軍事力を増強しようとしている傾向はロシアの懸念を呼んでおり、その懸念には正当性があるとコメントした。
「1904年のこれらの出来事は、勢力圏について合意できず、経済的および軍事的利益を求めて第三国である朝鮮と満州の領土で戦争を始めた2つの帝国主義強国の衝突だったと考える。しかし、帝政ロシアに対する勝利から日本政府関係者たちに生じた多幸感は、後に日本の軍事・政治戦略を多くにおいて決定した。1930年と、日本が宣戦布告なしに真珠湾にある米太平洋艦隊の基地を攻撃した1941年12月も、不意打ちと兵器への賭けが勝った。なお、米国の軍事的能力は日本の10倍だった」
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「日本は平和主義国だった痕跡を絶った」 日本の軍事主義化の標的は露中=ラブロフ外相
コシキン氏によると、日本は現在、世界の軍事大国の仲間入りをするという目標をたてた。同氏は、これはもちろん「ロシアを含む近隣諸国を当惑させている」との見方を示している。

「日本はおそらく、アジアでつくられつつある新たなブロックに加わるだろう。

ロシアに対する『第二戦線』を開くことにおいて日本が精力的に活動する可能性がある。日本側からは、ロシアが自国の極東の境界を守ることができないような状況をつくる必要があるという声がすでにあがっている。このような政策は、1940年の日本の政策をいくぶんか再現している。当時、日本はソ連との直接衝突を恐れて大規模な軍事力を維持し、ソ連指導部に最大3分の1の軍事力を極東に維持させてた。そしてこれがナチス・ドイツとの戦争を長引かせた」

コシキン氏は、日本の軍事力増強について、日本は中国と北朝鮮からの脅威をその理由としているが、そこには対ロシアも含まれていると指摘している。

「日本がトマホークや極超音速ミサイルを九州と北海道に配備する問題を提起しているのには理由がある。また、つい先日の2月7日に再び確認されたロシアに対する日本の領有権主張を考慮すると、日本は自国の憲法の平和的規定を遵守し続けると考える根拠はない。さらに、日本は最近、NATOに接近する道を進み、NATOの会合に参加したり、合同演習も行っている」

日本の新たな防衛政策は、日本を武装の軌道に乗せるか?

日本政府はここ数カ月、安全保障分野における米国やその他のG7メンバーとの協力を確信をもって強化している。それをはっきり確認できるのが、岸田首相のG7歴訪だ。この訪問で日本政府は、5月に広島で開催されるG7サミットを前に、北朝鮮や中国の脅威増大を背景として、主要な西側諸国との防衛関係強化に期待した。
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また、昨年末に日本政府が新たな国家安全保障戦略を閣議決定したことも懸念を呼んでいる。そこには、防衛費倍増や反撃能力の保有などが明記された。これは、戦後の日本国憲法における平和主義の原則からの大きな逸脱となった。
また日本は、防衛費を2倍に拡大する他に、他国との防衛協力を深化させることも決定した。昨年2022年12月、日本、英国、イタリアは、次期戦闘機の共同開発について発表した。
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