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【解説】米オハイオ列車脱線事故 ほぼ2週間にわたる政府の不対応と水俣の教訓
【解説】米オハイオ列車脱線事故 ほぼ2週間にわたる政府の不対応と水俣の教訓
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2月3日に米中西部オハイオ州のイースト・パレスティーンで、危険物質を積載した列車が脱線したことにより引き起こされた環境汚染に関する情報は、事故からほぼ2週間経過して、ようやくホワイトハウスの発表により明らかになった。 2023年2月20日, Sputnik 日本
2023-02-20T17:54+0900
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それまで事故現場に記者らを接近させず、報道活動をあの手この手で妨害し、その間、米国メディアは国内上空を飛行する謎の気球の話題やそれとUFOとの関係について大きく取り上げ、国民の注意を逸らしていた。一方、地元の人々は今もなお、今回の環境汚染による健康被害に不安を募らせ、また政府の楽観的な報告に不信感を露にしている。イースト・パレスティーンで何が起きたのか.事故が起きたのは2月3日の夜。ペンシルバニア州からイリノイ州に向かっていた列車が脱線、炎上した。化学物質が積載されていたタンク車の爆発を防ぐため、タンクに穴を開けて、中身を放出する作業が行われた。化学物質は、特別に掘った穴の中に入れられ、焼却された。イースト・パレスティーン(人口およそ5000人)の町の上には、恐ろしい黒煙の雲が何時間にもわたって立ち込めていた。事故現場から半径1.5キロ圏内の住民たちはすぐに避難したが、2月6日になって政府はようやく緊急避難命令を出した。しかし、米環境保護庁(ЕРА)が、検査の結果、大気も水質も基準値は超えていないと発表したこと受け、2月8日には避難命令は解除された。しかし、住民に対しては、化学物質による危険はないものの悪臭は長期にわたり、続く可能性があるとの注意が発せられた。しかし、実際には、現地の多くの人々が頭痛や吐き気、倦怠感を感じているほか、悪臭による不快感を示している。2月14日、カリーヌ・ジャンピエール米大統領報道官は記者会見で、政府は地元オハイオ州政府と緊密な連携をとっているとし、何より重要な優先課題は住民たちの健康と安全であると強調した。積載されていた物質はどのようなものだったのか その安全性は?列車に積載されていた物質は引火性の発がん性物質、塩化ビニルで、ノーフォーク・サザン社がプラスチック製品の製造に使用していたものである。高濃度の塩化ビニルは、中枢神経に影響を及ぼし、肝臓がんや肺がん、白血病を引き起こす可能性がある。塩化ビニルが燃焼すると、塩化水素とホスゲンに分解される。ホスゲンは、第一次世界大戦時に窒息ガスとして使用されたものである。列車には、塩化ビニルの他、アクリル酸ブチル、またそれと同等に危険な物質3種類が積載されていた。いずれも吸い込むと深刻な危険をもつものだ。事故後、積載された物質のリストが発表されている。多くのことが今なお不明事故現場周辺の水質と土壌の検査は現在も続けられている。というのも、周囲の河川では、水質汚染の結果、およそ3500匹の魚が死んだのが確認されたからである。一方、政府は楽観的な報告を出す中、地元の住民たちは不安を隠せず、また自らの問いに答えを出せずにいる。イースト・パレスティーンの住民の1人、クリス・ウォレスさんは地元住民を対象とした説明会の後、不満を露にした。「彼らは質問に答えない。ただ、何も問題ない、大丈夫だと言うばかりだ」と非難している。別の住民女性は、動画にコメントした中で、「避難した夜から、喉の痛みがあり、腺が腫れている」と書いている。一方、化学廃棄物の専門家であるシルヴェラード・カジアーノ氏は、「多くのことが今もはっきりしていない。5年後、10年後、15年後、20年後にがんの罹患者が急増する可能性も除外できない」との考えを示している。チェルノブイリと水俣現在、多くの環境専門家やソーシャルネットワークへの投稿者が、事故の隠蔽という意味で、今回の事故をチェルノブイリ事故と比較している。またネット上には、1970年にカナダのオンタリオ州で発生した公害病に準える人も多い。オンタリオ州では、当時、工場から不法に排出された排水に毒性化学物が含まれており、多くの水域が水銀汚染された。オハイオ州の事故現場周辺の人々の症状は、1950年代に日本で発生した恐ろしい環境汚染などに代表される水銀中毒症に似ている。なおこの日本の水俣病に関しても、政府は長い間、関連を否定していた。日本の水俣病は、チッソ株式会社が無機水銀を海や河川に排出し、これが強力な神経毒であるメチル水銀化合物となり、これに汚染された海産物を住民が長期にわたって日常的に食べたことによる中毒性疾患である。廃棄物の排出は、20世紀初頭に、化学工場が建設されたほぼ直後から、何十年にもわたり行われていた。河川で死んだ魚以外に、最初に生物に見られた症状が見られたのは、河川の水を飲んでいた野良猫であった。猫は痙攣を起こし、倒れ、死んだ。その様子を映した動画がある。その後、住民たちにも症状が現れるようになった。ボタンが留められくなった人、文字が書けなくなった人、その他、よろけてつまづく、呼吸が苦しくなる、痙攣を起こすなど、さまざまな症状が出た。水俣病を発症して死亡する例も少なくなかったが、生き残った人々も、幸い、そして不幸にも、中枢神経を中心とする神経系の損傷を受け、生涯にわたり、障がい者としての生活を強いられた。最初の症例が認められたのは1956年であるが、1959年に熊本大学の研究者らが、病気の原因が水銀であることを突き止め、それ以降、「水俣病」と呼ばれるようになった。にもかかわらず、地元の住民たちが工場排水と水俣病の因果関係を認めさせ、損害賠償を実現するのにはほぼ10年もの歳月が費やされた。この実現を助けたのは1枚の写真である。それは、米国のフォトジャーナリスト、ユージン・スミスが1971年に撮影した「入浴する上村智子と母」だ。上村智子さんの母親の良子さんは、水俣病によって引き起こされた娘の発育状態を世に知らしめるために、スミスに写真を撮ることを許可した。写真は広く知られるところとなり、世界じゅうで、水俣病に対する注目を集めるものとなった。また2020年には、この水俣病をテーマにしたジョニー・デップ主演によるアンドルー・レヴィタス監督の映画「MINAMATA―ミナマタ」も公開されている。
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【解説】米オハイオ列車脱線事故 ほぼ2週間にわたる政府の不対応と水俣の教訓
2023年2月20日, 17:54 (更新: 2023年2月20日, 19:25) 2月3日に米中西部オハイオ州のイースト・パレスティーンで、危険物質を積載した列車が脱線したことにより引き起こされた環境汚染に関する情報は、事故からほぼ2週間経過して、ようやくホワイトハウスの発表により明らかになった。
それまで事故現場に記者らを接近させず、報道活動をあの手この手で妨害し、その間、米国メディアは国内上空を飛行する謎の気球の話題やそれとUFOとの関係について大きく取り上げ、国民の注意を逸らしていた。
一方、地元の人々は今もなお、今回の環境汚染による健康被害に不安を募らせ、また政府の楽観的な報告に不信感を露にしている。
事故が起きたのは2月3日の夜。ペンシルバニア州からイリノイ州に向かっていた列車が脱線、炎上した。化学物質が積載されていたタンク車の爆発を防ぐため、タンクに穴を開けて、中身を放出する作業が行われた。化学物質は、特別に掘った穴の中に入れられ、焼却された。イースト・パレスティーン(人口およそ5000人)の町の上には、恐ろしい黒煙の雲が何時間にもわたって立ち込めていた。事故現場から半径1.5キロ圏内の住民たちはすぐに避難したが、2月6日になって政府はようやく緊急避難命令を出した。しかし、米環境保護庁(ЕРА)が、検査の結果、大気も水質も基準値は超えていないと発表したこと受け、2月8日には避難命令は解除された。しかし、住民に対しては、化学物質による危険はないものの悪臭は長期にわたり、続く可能性があるとの注意が発せられた。
しかし、実際には、現地の多くの人々が頭痛や吐き気、倦怠感を感じているほか、悪臭による不快感を示している。
2月14日、カリーヌ・ジャンピエール米大統領報道官は
記者会見で、政府は地元オハイオ州政府と緊密な連携をとっているとし、何より重要な優先課題は住民たちの健康と安全であると強調した。
積載されていた物質はどのようなものだったのか その安全性は?
列車に積載されていた物質は引火性の発がん性物質、塩化ビニルで、ノーフォーク・サザン社がプラスチック製品の製造に使用していたものである。高濃度の塩化ビニルは、中枢神経に影響を及ぼし、肝臓がんや肺がん、白血病を引き起こす可能性がある。
塩化ビニルが燃焼すると、塩化水素とホスゲンに分解される。ホスゲンは、第一次世界大戦時に
窒息ガスとして使用されたものである。列車には、塩化ビニルの他、アクリル酸ブチル、またそれと同等に危険な物質3種類が積載されていた。いずれも吸い込むと深刻な危険をもつものだ。
事故現場周辺の水質と土壌の検査は現在も続けられている。というのも、周囲の河川では、水質汚染の結果、およそ3500匹の魚が死んだのが確認されたからである。
一方、政府は楽観的な報告を出す中、地元の住民たちは不安を隠せず、また自らの問いに答えを出せずにいる。
イースト・パレスティーンの住民の1人、クリス・ウォレスさんは地元住民を対象とした説明会の後、不満を露にした。
「彼らは質問に答えない。ただ、何も問題ない、大丈夫だと言うばかりだ」と
非難している。
別の住民女性は、動画にコメントした中で、「避難した夜から、喉の痛みがあり、腺が腫れている」と書いている。
「唇が日焼けの後のように真っ赤になり、それは時間と共に治ったが、喉の焼けた感じが残っている。今は右耳が痛い。多くの人が喉の痛みや頭痛、発疹などを訴えている。もちろん、皆、ショックを受けている」
一方、化学廃棄物の専門家であるシルヴェラード・カジアーノ氏は、「多くのことが今もはっきりしていない。5年後、10年後、15年後、20年後にがんの罹患者が急増する可能性も除外できない」との
考えを示している。
現在、多くの環境専門家やソーシャルネットワークへの投稿者が、事故の隠蔽という意味で、今回の事故を
チェルノブイリ事故と比較している。
またネット上には、1970年にカナダのオンタリオ州で発生した公害病に準える人も多い。オンタリオ州では、当時、工場から不法に排出された排水に毒性化学物が含まれており、多くの水域が水銀汚染された。
オハイオ州の事故現場周辺の人々の症状は、1950年代に日本で発生した恐ろしい環境汚染などに代表される水銀中毒症に似ている。なおこの日本の水俣病に関しても、政府は長い間、関連を否定していた。
日本の水俣病は、チッソ株式会社が無機水銀を海や河川に排出し、これが強力な神経毒であるメチル水銀化合物となり、これに汚染された海産物を住民が長期にわたって日常的に食べたことによる中毒性疾患である。
廃棄物の排出は、20世紀初頭に、化学工場が建設されたほぼ直後から、何十年にもわたり行われていた。
河川で死んだ魚以外に、最初に生物に見られた症状が見られたのは、河川の水を飲んでいた野良猫であった。
猫は痙攣を起こし、倒れ、死んだ。その様子を映した
動画がある。その後、住民たちにも症状が現れるようになった。ボタンが留められくなった人、文字が書けなくなった人、その他、よろけてつまづく、呼吸が苦しくなる、痙攣を起こすなど、さまざまな症状が出た。
水俣病を発症して死亡する例も少なくなかったが、生き残った人々も、幸い、そして不幸にも、中枢神経を中心とする神経系の損傷を受け、生涯にわたり、障がい者としての生活を強いられた。
最初の症例が認められたのは1956年であるが、1959年に熊本大学の研究者らが、病気の原因が水銀であることを突き止め、それ以降、「水俣病」と呼ばれるようになった。
にもかかわらず、地元の住民たちが工場排水と水俣病の因果関係を認めさせ、損害賠償を実現するのにはほぼ10年もの歳月が費やされた。
この実現を助けたのは1枚の
写真である。それは、米国のフォトジャーナリスト、ユージン・スミスが1971年に撮影した「入浴する上村智子と母」だ。上村智子さんの母親の良子さんは、水俣病によって引き起こされた娘の発育状態を世に知らしめるために、スミスに写真を撮ることを許可した。写真は広く知られるところとなり、世界じゅうで、水俣病に対する注目を集めるものとなった。
また2020年には、この水俣病をテーマにしたジョニー・デップ主演によるアンドルー・レヴィタス監督の映画「
MINAMATA―ミナマタ」も公開されている。