【視点】ロシアと日本、隣国である運命からは逃れられない=拓殖大学のワシーリー・モロジャコフ教授に聞く
多くの日本の学生たちが選ぶのがプーチン大統領
わたしは1995年から東京に滞在し、2004年から拓殖大学に勤務し、2012年に同大学の教授になりました。
大学では、ロシア研究と国際日本文化学という授業を日本語で行なっています。国際日本文化学というのは、日本が周囲の世界をどのように捉えているか、また周囲の世界が日本をどのように捉えているのかについて研究するものです。
もう一つ、英語で行なっている授業があります。大学には、東南アジアからの交換留学生がかなり多いからなのですが、その授業は「日本文明へ導入」というものです。
日本人の学生がこの授業を受けにくることもあります。
「日本文明への導入」の授業には試験はありませんが、レポートの提出を課しています。
学生たちには、ロシア史の中からある人物を1人選んで、なぜこの人物を選んだのか、そしてこの人物に対して何を思っているのかについて書いてもらっています。
学生たちがもっともよく選ぶのがプーチン大統領で、それはもう圧倒的に多いです。しかも、たいていその内容はどれも熱狂的なものです。プーチン大統領の次に多いのが、未だに日本人の中で著名度の高いゴルバチョフとガガーリンですね。
それ以外では、アルシャーヴィン、リプニツカヤ、メドヴェージェワなどスポーツ選手も多いです。それから必ず選ばれるのがトルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、チャイコフスキーなどです。
文学と政治、その両者の関係に惹かれる
思春期から、ロシアの象徴主義(シンボリズム)と「銀の時代」、そして日本のイメージが多く感じられるヨーロッパのデカダンス文学、モダニズムに大きな関心を持っていました。これは「ジャポニスム」と呼ばれるものです。
そしてわたしは、そこに学際的アプローチがないことに気づきました。つまり、日本史を研究する多くの人々がロシア文学における日本のイメージというものをほとんど知らないということです。アンドレイ・ベールィの小説「ペテルブルク」すら知らないのです。
日本の影響について研究している文学者でさえ、日本についてはほとんど知りません。わたしがいつも興味を持っていたのは、文学と政治、そしてその関係、関わりです。
わたしのもう一つの活動のテーマは、日本の対外政策、外交、そして明治維新から第二次世界大戦終戦までの日本の政治思想です。それから、わたしの著書「日本における保守革命:思想と政治」に関する仕事もあります。ソ連では、左派勢力の教えについてはある程度は研究されていましたが、右派についてはまったく研究されていませんでした。
日本の愛国主義、日本の軍国主義と呼ばれるものは、わたしが関心を持つ以前にも研究されていましたが、それはきわめて実際的な政治の意味におけるものでした。わたしは精神的・哲学的側面に興味を覚えたのです。
そして、わたしはそのテーマを研究する最初の人物となりました。このテーマに関する資料はまだすべて研究し尽くされていないことから、今も定期的にその研究に取り組んでいます。
モロジャコフ氏の著書「日本のイメージ」
モロジャコフ氏の著書「日本のイメージ」
露日関係史に関するモロジャコフ氏の著書
露日関係史に関するモロジャコフ氏の著書
著書「激動に生き残る日本」
著書「激動に生き残る日本」
著書「ロシアと日本:黄金時代」
著書「ロシアと日本:黄金時代」
モロジャコフ氏の著書「日本のイメージ」
露日関係史に関するモロジャコフ氏の著書
著書「激動に生き残る日本」
著書「ロシアと日本:黄金時代」
露日関係の黄金時代
この時期の露日関係は非常に高いレベルにあり、1916年には軍事政治同盟まで結ばれました。ロシアと日本がこれほど近い関係にあった時期はそれ以前にもそれ以降にもありません。
重要なことは、ロシア政府も、日本政府も、互いに敵対するより協力すべきであるということを明確に理解していたことです。また双方に分別のある人物が揃っていました。日本の桂太郎、後藤新平、ロシアのストルィピン、ココフツォフ、サゾノフなどです。
すでに一度、戦っていたことから(日露戦争)、もうこれ以上戦争は要らないという認識がありました。これは非常によい地政学的実用主義です。
また、中国での経済的利益をめぐり、ロシアと日本には共通の敵が、しかも2国もあるという認識もありました。それが米国と英国です。経済的な利益があるということは、そこに政治的利益があるということです。
米国が国際舞台で一気に駆使した「砲艦外交」の時代です。それは米国外交の新たな言葉であり、極東における国際関係の新たなファクターとなりました。
歴史を知らずに現代の情勢を理解することは不可能である
過去数十年の世界の歴史学においては、現代の道徳的評価を過去の出来事と結びつけようという動きがあります。しかしこれは歴史学の原則を破るもので、非常に懸念される傾向です。わたしは歴史的類推には反対しています。しかしながら、歴史を知ることなく、現代の出来事を理解することはできません。
20年ほど前のことだと思うのですが、今後50年に政治においてどのような出来事が起こると思うかと問われたことがあります。そこでわたしは、ウクライナは連邦にならない限り分裂し、南北朝鮮は統一すると答えました。
南北朝鮮の統一については十分に理解できることです。彼らは一つの民族であり、同じ文化を持ち、共通した領土と双方の物理的に明確な国境があるからです。
ウクライナについて言えば、多くの民族、文化、文明が混在しており、しかもその国境は人工的に作られたものですから、ある部分だけを基礎として一つの統一国家を建設するという試みは、やったところで絶対に上手くいくはずではないのです。
これはチェコスロバキアやユーゴスラビアでも証明されています。歴史を知っていれば、1991年に定められたソ連の国境に基づくウクライナの統一国家というものが存続不可能なものだと言うことができます。
存続するには、連邦制にするしかありません。なぜなら、まず西の土地は、ロシア帝国の構成体に一度も入ったことがないからです。
それから、ロシア帝国に入っていたマロロシア(小ルーシ)の土地があり、ウクライナの土地だったことのない東ウクライナがあります。その土地はまったく別の意識を持つロシア人が住んでいたロシアの県でした。そして、あのクリミアですが、ここはいつも孤立した地域でした。
また思い出さなければならないのは、ウクライナがどのようにして「集め、作られたか」ということです。ウクライナを作ったのはレーニン、スターリン、そしてフルシチョフです。
これらの東の国の第二の公用語がロシア語であるべきなのは明白です。クリミアでも、第二の公用語はロシア語、第三がクリミア・タタール語であるべきです。そうすることでウクライナを維持することができるでしょう。
日本人はときに一つのモデルを別の物事に当てはめようとする
ポストソ連のすべての共和国の未来には恐ろしい地雷が埋められていました。それはつまりソ連領土内の国境です。当時はその国境線は大まかなもので、誰も独立国家の国境線になるとは想定していませんでした。
これを日本人に説明するとき、わたしは静岡県と山梨県が独立を宣言したと想像してみてくださいと言います。そして大阪に行くのにビザを取得しなければならなくなるのだと。すると日本人は笑って、「そんな馬鹿な」と言います。
日本人がウクライナ、あるいはフランスなどヨーロッパの国の名前を意味にするとき、彼らは自動的に日本の過去や現実をそこに投影します。日本には同じ民族しかおらず、国の言語は一つ、そして政治体制も一つで、国境に至っては物理的なものですから、一度も変更は生きていません。
ですから、平均的な日本人は、ウクライナという国も昔からずっと存在していて、そこには朝鮮人や中国人と日本人が異なっているように、別の民族とはまったく異なるウクライナ人という個別の民族が暮らしていて、ずっとウクライナ語で話してきたと考えます。
学生たちには、統一ドイツの国境ができたのは1871年で、150年の間にこの国境が何度も変更されてきたこと、1870年まで、統一されたイタリアという国は存在しなかったこと、そして20世紀ににロシアという名称は4回変わり、国境も何度も変わったと説明します。つまり、ヨーロッパの歴史を理解するために重要なのは、ヨーロッパの地理を理解することなのです。
もちろん、そのことを知っている日本人もいますが、それは限られた人たちです。多くの人は自動的に一つのモデルをすべてに当てはめようとします。ですから、静岡県や山梨県が独立するという例を出すと、彼らは困惑してしまうのです。
ジャーナリズムの代わりに現れたプロパガンダ
間違っているかもしれませんが、ウクライナ問題に特に関心のある日本人はいないと思います。日本のジャーナリストはそれに関する情報はたくさん出ている、日本の読者は興味を持っているからだと言います。
しかし、それはメディアが人々の関心を煽っているのです。それに正しい名前をつけるとしたら、ジャーナリズムではなく、プロパガンダが現れたのです。
プロパガンダのメカニズムをしっかり調べてみると、プロパガンダの形式や手法、とりわけ「ヘイト・プロパガンダ」と「残虐行為プロパガンダ」は第一次世界大戦時から変わっていないことがわかります。その技術的な方法は変わりましたが、やり方は同じなのです。
敵対する双方が意図的に情報を流布し、それをごちゃ混ぜにしますが、すべてはプロパガンダ対決の枠内に収まっています。そしてこれは、戦争に限らず、あらゆる紛争において避けられないものです。
露日関係はリセットできるか?
露日関係に急激な変化が起こる前提条件というものは、ロシア側にも日本側にもないように思います。しばらくは停滞の時期でしょう。ロシアの外交政策の優先事項に日本は含まれていません。そして日本の外交政策にとってもロシアは優先事項ではありません。
日本にとって、間違いなく重要なのは米国と中国であり、ロシアにとっては中国とヨーロッパ、そしてグローバル規模では、当然米国です。
政治に関しては、全てが日本に左右されるわけではありません。日本にとって最大の経済的な関心は資源とエネルギーの問題です。これは純粋に実用的な問題ですが、政治の影響も避けられません。
しかし、文化、人道の分野では、学術協力が継続され、発展していくことを期待しています。共同プロジェクトや交換留学、教師の相互派遣、定期的な学術会議の開催などです。これは露日双方に必要なものであり、ロシアでも日本でも多くの人がこのことを理解しています。
ロシアに文化外交の戦略はない
ロシアには文化外交という戦略がなく、偉大な文化大国という魅力的なイメージを作ろう、それをどんどんアピールしようという気持ちがないという印象を受けます。日本は世界にアニメや漫画という独自の文化を積極的にアピールしています。
それは何も悪いことではありません。結果的に、日本には面白い国だというイメージが出来上がっています。日本の若者はロシアには関心がありません。なぜならロシアにも若者にとって面白いものがあるということを知らないからです。ロシアにロック音楽があるのかどうかということすら知りません。
とはいえ、日本の学生から、わたしがまったく知らなかったロシアの名前を耳にすることもあります。たとえば、ゴーシャ・ルブチンスキーというとても人気のデザイナーの名前などです。
残念ながら、ロシアの日本向けの文化外交は年配の人たちを対象にしたものです。ロシアの文化外交に、政治的、経済的根拠があるのかを論じることはしませんが、日本におけるロシア文化フェスティヴァルのプログラムを見ると、かなり悲しいものがあります。そこで紹介されているのは、「カチューシャ」や「モスクワ郊外の夕べ」など、もはや過去の時代のものばかりなのです。
隣国である運命からは逃れられない
わたしは露日関係のさまざまな段階を見てきました。ソ連後期には、好き嫌いはあれど、我が国に大きな関心が向けられました。その関心の高まりは、ソ連が超大国であり、国際政治における重要なプレーヤーだったことも理由です。ペレストロイカ時代、日本は「ゴルビー人気」で、ロシア語の学習者も急激に増えました。
しかしソ連邦崩壊後、関心は低下していきました。これについて、有名なドストエフスキー研究者の中村健之介氏は、ロシアはフランスやドイツのような普通の国として捉えられるようになったのだと述べています。つまり、米国や中国のような大きくて恐ろしい超大国ではなくなったということです。しかし今や、ロシアに対する関心は、フランスやドイツに対するものよりも薄れています。
わたしはロシアという国が、若い日本人にとって面白い国、もっと言えば、クールなものであってほしいと思います。若者というのは、未来を背負っているからです。
そうなれば、どんなに素晴らしいでしょう!
政府間の関係というものには、独自の課題があり、論理があるものです。しかし、人々の関係というのはこれとは別物です。人と人が交流し、集まり、話をし、酒を飲み、歌をうたうようになってほしいと思います。それはまったく普通のことです。
なぜならわたしたちは皆、同じ人間であり、そしてロシアと日本が隣国であるという運命から、誰も逃れることはできないのですから。