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【視点】謝罪は必要ないのか、あるいはこれは日本人の「ストックホルム症候群」か?
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... 2023年4月20日, Sputnik 日本
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「スプートニク」は、日本が未だ米国から原爆投下に対する謝罪を求めないのはなぜなのか、日本がこのことを受け入れなければならないのはなぜなのか考察した。「沈黙の人」しかも2016年、米国のオバマ大統領(当時)が歴史的な広島訪問を行った際、米国は日本国民に対し謝罪する絶好のチャンスがあった。日本側から米国に対してもそのような希望が伝えられたが、結局、大統領が謝罪の言葉を述べることはなかった。もちろん、その希望は非公式に述べられたものだったと、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所、アジア太平洋研究センターで日本の政治経済チームを率いるヴィタリー・シヴィトコ氏は指摘する。こうしたことから、日本社会でも、原爆投下は、事実上、大きな問題にはなっていない。犠牲者のストックホルム症候群しかし、時間が経つにつれ、こうした沈黙が馬鹿げた結果を生んでいる。それは核兵器が初めて人類に対して使用された事件におけるを被害者は誰なのか、犯人は誰なのかを忘れてしまうということである。あるいは、これは日本人のいわゆる「ストックホルム症候群」なのだろうか。知られているように、この「ストックホルム症候群」というのは、脅威や暴力の過程で、被害者と犯人の間に過度の連帯感や好意的感情が芽生えることを指す。しかも、被害者は行われた暴力に対し、自分自身を責めることが多々あるという。米国が原爆投下を道徳的に正当化するのに、1941年、ハワイで2403人が犠牲となった真珠湾攻撃を用いるのは偶然ではないだろう。米国は、原爆投下は米国の兵士の命を守るために戦略的に必要なものであったと確信しているのである。しかし、事実を見る限り、米国政府にとって原爆投下の倫理的側面についてはまったく議論されなかったことがわかる。というのも、1945年に広島と長崎に原爆が投下されたとき、日本はすでに疲弊しきっていて、事実上、敗戦状態で、降伏直前だったからである。つまり、戦略という見地から見れば、広島と長崎の人々の犠牲はまったく根拠のないものだったのである。しかも、真珠湾攻撃と原爆投下、もちろん、いずれの事件においても、犠牲となった一人一人の市民の命は価値あるものであるとはいえ、その犠牲者の数は比較にならない。実際のところ、米国が終戦まぎわで原爆を使用した理由はただ一つ、日本に対し、より有利な条件で勝利を収めることであった。何が米国にとって有利だったのかということは、その後の歴史が明確に示している。それはアジア太平洋地域における軍事的優位性である。米国は日本が降伏した後、日本領土に深く入り込み、数千人規模の軍を配備した。こうして日本は、冷戦におけるソ連との対決のための、米国の不沈の空母となったのである。そしてソ連邦が崩壊したときも、米国はその計画に変更を加えることはなかった。逆に、米国の敵が増えたことにより、在日米軍の存在はさらに強化された。今度は中国の脅威がここに加わっている。米国は依然として、国防総省やNATO(北大西洋条約機構)に必要なあらゆる兵器を日本に配備する権利を有している。しかし、軍事紛争が起こった場合、敵からの報復攻撃で苦しむのは他でもない日本である。しかし、もし実際にそうなった場合、米国はまた広島、長崎への原爆投下のときと同じように、自分を正当化する方法を見つけるだろう。シヴィトコ氏は、「第二次世界大戦末期の日本の悲劇について、米国は、今世紀の考え方は過去には当てはまらないと主張しているからだ」と述べている。つまり、アントニー・ブリンケン国務長官は、今回の日本訪問でも、この路線から一歩も外れることはなかったのである。長官は、日本に対する原爆投下は大きな悲劇であったことは認めつつ、軍事行動においてそれを行ったことに対して米国が謝罪する十分な理由があるとは考えていない。加えて、米国と米軍は、日本領内において、沖縄の住民よりももっと快適な生活を送っているのである。
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【視点】謝罪は必要ないのか、あるいはこれは日本人の「ストックホルム症候群」か?
米国のアントニー・ブリンケン国務長官は広島、長崎への原爆投下について、「(核兵器による)前例のない破壊をもっとも強く思い出させる」と述べた。この発言は日本でなされたにもかかわらず、ブリンケン長官は、この非人道的な行動を実際に行ったのが誰なのかを指摘したり、日本国民の前で謝罪したりする必要があるとは考えなかったようだ。しかも、現在の状況は、まったく馬鹿げたものに見える。米国は今も、人類に対して、核兵器を使用した世界で唯一の国であり続けている。しかしその犠牲となった日本で、米国はより安全な世界を確立するために、どの国よりも積極的に、核の抑止を呼びかけているのである。
「スプートニク」は、日本が未だ米国から原爆投下に対する謝罪を求めないのはなぜなのか、日本がこのことを受け入れなければならないのはなぜなのか考察した。
しかも2016年、米国のオバマ大統領(当時)が歴史的な広島訪問を行った際、米国は日本国民に対し謝罪する絶好のチャンスがあった。
日本側から米国に対してもそのような希望が伝えられたが、結局、大統領が謝罪の言葉を述べることはなかった。もちろん、その希望は非公式に述べられたものだったと、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所、アジア太平洋研究センターで日本の政治経済チームを率いるヴィタリー・シヴィトコ氏は指摘する。
「これは、日米関係にとっては非常に繊細なテーマです。従って、日本政府はそのデリケート性を鑑み、公式的にはいかなる要求もしませんでした。しかし、協議の舞台裏で内密にこのテーマは取り上げられていました。しかし、日本に対する原爆投下の事実が、米国の犯罪として公式に定義づけられたことは一度もありません。過度な武力行使という位置付けです。一方で、米国も日本側から真珠湾攻撃について、公式な謝罪を求めたことはありません。つまり、こうしたことから、このテーマについては、世論を刺激しないよう、外交的手段『沈黙の人』を取るという暗黙の合意がなされているわけです」。
こうしたことから、日本社会でも、原爆投下は、事実上、大きな問題にはなっていない。
しかし、時間が経つにつれ、こうした沈黙が馬鹿げた結果を生んでいる。それは核兵器が初めて人類に対して使用された事件におけるを被害者は誰なのか、犯人は誰なのかを忘れてしまうということである。あるいは、これは日本人のいわゆる「
ストックホルム症候群」なのだろうか。
知られているように、この「ストックホルム症候群」というのは、脅威や暴力の過程で、被害者と犯人の間に過度の連帯感や好意的感情が芽生えることを指す。しかも、被害者は行われた暴力に対し、自分自身を責めることが多々あるという。米国が原爆投下を道徳的に正当化するのに、1941年、ハワイで2403人が犠牲となった真珠湾攻撃を用いるのは偶然ではないだろう。米国は、原爆投下は米国の兵士の命を守るために戦略的に必要なものであったと確信しているのである。
しかし、事実を見る限り、米国政府にとって原爆投下の倫理的側面についてはまったく議論されなかったことがわかる。というのも、1945年に広島と長崎に原爆が投下されたとき、日本はすでに疲弊しきっていて、事実上、敗戦状態で、降伏直前だったからである。つまり、戦略という見地から見れば、広島と長崎の人々の犠牲はまったく根拠のないものだったのである。しかも、真珠湾攻撃と原爆投下、もちろん、いずれの事件においても、犠牲となった一人一人の市民の命は価値あるものであるとはいえ、その犠牲者の数は比較にならない。
実際のところ、米国が終戦まぎわで原爆を使用した理由はただ一つ、日本に対し、より有利な条件で勝利を収めることであった。何が米国にとって有利だったのかということは、その後の歴史が明確に示している。それはアジア太平洋地域における軍事的優位性である。米国は日本が降伏した後、日本領土に深く入り込み、数千人規模の軍を配備した。こうして日本は、冷戦におけるソ連との対決のための、米国の不沈の空母となったのである。そしてソ連邦が崩壊したときも、米国はその計画に変更を加えることはなかった。逆に、米国の敵が増えたことにより、在日米軍の存在はさらに強化された。今度は
中国の脅威がここに加わっている。
米国は依然として、国防総省やNATO(北大西洋条約機構)に必要なあらゆる兵器を日本に配備する権利を有している。しかし、軍事紛争が起こった場合、敵からの報復攻撃で苦しむのは他でもない日本である。しかし、もし実際にそうなった場合、米国はまた広島、長崎への原爆投下のときと同じように、自分を正当化する方法を見つけるだろう。
シヴィトコ氏は、「第二次世界大戦末期の日本の悲劇について、米国は、今世紀の考え方は過去には当てはまらないと主張しているからだ」と述べている。
「なぜなら当時は、多くの国々が手に入れることのできるあらゆる手段を用いて戦争を行っていたからです。つまり、戦争、そして戦争で使うことのできる手段について、今とは違う考え方があったとして、米国は原爆投下やその非人道的な行動による罪のない犠牲者に謝罪する必要があるとは考えていないのです」。
つまり、アントニー・ブリンケン国務長官は、今回の日本訪問でも、この路線から一歩も外れることはなかったのである。長官は、日本に対する原爆投下は大きな悲劇であったことは認めつつ、軍事行動においてそれを行ったことに対して米国が謝罪する十分な理由があるとは考えていない。加えて、
米国と米軍は、日本領内において、沖縄の住民よりももっと快適な生活を送っているのである。