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【人物】ロシアの盆栽職人 小さな木は大きな喜び
【人物】ロシアの盆栽職人 小さな木は大きな喜び
Sputnik 日本
... 2023年6月2日, Sputnik 日本
2023-06-02T21:10+0900
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スプートニク:インターネットのおかげで、あなたの動画レッスンやあなたのブランド「盆栽のABC」、「樹木の建築家」はロシアでますます人気を博しています。モスクワ国際関係大学を卒業したあなたは、なぜ盆栽の道を歩むようになったのでしょうか?ダルセンコフさん:わたしは1982年にモスクワ国際関係大学の経済学部を卒業し、外務省に10年勤務した後、世界銀行で14年働きました。しかし、学生のときから風景画に興味があり、画家のもとでレッスンを受け、20年ほど、風景画を描いていました。それから祖父が昔、買ったダーチャでは、いつも植物に囲まれていました。それに母親のところにもいつも観葉植物が飾られていました。そしてあるとき、風景画と植物が一つになったのです。というのも、盆栽というのは、小さな鉢の中に自然を再現するものだからです。1990年代の半ば、モスクワで盆栽展があるという宣伝を目にしました。それはソフホーズの「クラスナヤ・ニヴァ」がやっていたものでした。彼らは、1970年代に日本の大使夫人がソ連政府に贈った盆栽のコレクションを持っていました。この盆栽展で、樹木が鉢の中で育っているということに驚きました。それでイギリス人が書いた盆栽の本を買い、そこからすべてが始まりました。日本からいろいろな植物を持ち帰ってきましたが、わたしの経験不足と知識のなさから、盆栽の木はロシアの気候ではうまく育たず、そのうちの多くが枯れてしまいました。ロシアは夏が短く、太陽と暖かさが足りないのです。それで、ここでは、ロシアの気候に合ったロシアの木を使わなければならないという結論に至りました。盆栽をやるようになってかれこれ30年になりますが、わたしの盆栽園には300ほどの作品があります。スプートニク:つまり、ロシアのどんな木でも盆栽ができる、そしてすべての盆栽のやり方というのはどれも共通したものだということですか?ダルセンコフさん:基本的に盆栽にはほぼどんな木でも使えます。わたしはモスクワ郊外だけでなく、北カフカス、ヒビヌィ山脈、カレリアなどさまざまな場所から植物を持ち帰っています。これは気候などの原因によってうまく生育できなかった小さな木です。自然界では、厳しい条件のために、木がうまく育たず、比較的小さなままになるということがあるのです。こうした木には盆栽として生まれ変わる可能性があります。また盆栽用の木は、盆栽園や園芸センターでも買えるようになりました。これらは、やはり、より育ちが良いのです。自然から木を持ってこようとすると、根が大きすぎて、それをすべて持ち帰ることはできないため、根付かないことが多いです。手入れについて言えば、どの木にも基本的に必要なのは、太陽、水、酸素、二酸化炭素、そして光合成に必要な元素です。大切なことは、南方の樹木は冬、寒い時期というものを知らないので、休眠しませんが、北方の樹木は寒い時期には休むことが必要だという違いがあることです。秋になると、木々は葉を落とし、果樹は果実を実らせます。そして春に目覚めるのです。すべては大きな木々と同じです。ただサイズが小さいだけです。そしてわたしが皆さんに伝えたいもっとも大切なことは、盆栽は屋外の植物だということです。室内に入れることがあるとすれば、それはごく稀なことであり、しかも短時間です。樹木にとっては屋外が理想的な環境だからです。スプートニク:盆栽がロシアで初めて紹介されたのはいつかご存じですか?ダルセンコフさん:盆栽が芸術としてこの国で紹介されたのは1970年代ですが、当時はかなり限定的なものでした。それが大々的に発展するようになったのは、インターネットの普及に伴い、情報が手に入るようになってからです。それから10〜15年後、盆栽はお店でも売られるようになり、プレゼントとして贈るのが流行するようになりました。しかし、それらの木々の大部分は枯れてしまったのではないでしょうか。なぜなら、誰も盆栽の手入れについてよく知らず、店員のアドバイスも矛盾したものだったからです。現在、ロシアの大都市では、盆栽はかなり一般的なものになりました。とはいえ、どの家にも盆栽があるというほど普及することはないでしょう。それでも、郊外の一軒家に住んでいる人にとって、盆栽はとても魅力的なものになっています。一軒家には庭があり、人々は庭の木々を美しく保ちたいと思うからです。全体の雰囲気(景色)に溶け込んでいなければならない庭の木と違い、盆栽は文脈を必要とせず、独立したものです。これは、英国の庭、ロシアの庭、日本庭園など、どんなスタイルの庭にも調和する芸術作品なのです。わたしはそうした人々にとても期待しています。なぜなら、彼らはもう木々の美しさに魅了されていて、盆栽も、そのさらなる発展に向けた自然な一歩になるからです。スプートニク:ですが、展示会や写真で盆栽を見ていると、こんな素晴らしい奇跡的な作品は誰にでも作れるものではないと感じます。盆栽はエリート芸術だと思いますか?ダルセンコフさん:そのような神話は、自分自身を特別なものだと信じている盆栽家たちから生まれたものだと思います。しかし盆栽は特別なものではありませんし、選ばれた者のための芸術でもありません。盆栽には、伝統的な芸術文化のような厳しい基準はないのです。自分の木(盆栽)が好きなら、よく育ちます。そしてそれは、芸術作品でなくても、とても素晴らしいものであり、見ていて喜ばしい気持ちになるものです。それに有名な盆栽家の木村正彦や日本人やそれ以外の有名な盆栽家と自分を比べる必要などありません。ですから、わたしは盆栽というものはとても民主的なものだと感じています。今ちょうど、わたしたちは、リアリティ・ショーを撮影しています。安く手に入れた3本の木でどのようにして盆栽を作るのかを紹介しています。この動画はとても人気があります。なぜなら、最初から最後まで、全工程を目にすることができるからです。そこには何の謎も秘密もありません。ただほんの少し、自分が創造者としての役割を果たしているのだというような神々しい感覚のようなものが生まれることはあります。しかしもちろん、そうなるためには研鑽を積まなければなりません。わたしは今も学び続けていますし、人々にも指導を続けたいと思っています。というのも、彼らが少しずつ盆栽についてよく理解できるようになってきたとき、何ものにも比較しがたい喜びを感じているのを目にするからです。盆栽でお金を稼いでいるのか、あるいは自分の趣味のためにやっているのかは重要ではありません。いずれにせよ、彼らの人生は良い方向に向かっていきます。それは盆栽をやっているときに、樹木の命が変わっていき、より健康でより美しくなっていくのを見ているのと同じ感覚です。自然界では、樹木は他の木々と競い合いながら、生き抜かなければなりませんが、自分を愛してくれる、自分がよく知る人の手の中で、この木は特権的な状態に置かれるのです。スプートニク:どんな人があなたのレッスンを受けに来るのですか?また本物の盆栽家になるには、どのような素質が必要だと思いますか?ダルセンコフさん:レッスンに来る人たちの中で多いのは、会計士や弁護士など、ルーティーンワークをしている人です。モノトーンな毎日に少し疲弊して、自分の専門は捨てずに、何か創造的なことができないかと模索している人々です。もっとも、美しい木を創造する道に完全に移行して、とても満足しているという人もいます。そして驚くべきことに、彼らは、元の職場で高い地位についていたときよりも多くのお金を稼いでいます。というのも、市場では庭木を扱う能力というのはとても需要があるからです。どんな性質の人が盆栽に向いているかというと、忍耐力は必要ありませんが、命あるすべてのものに対して愛情を注ぐことができる人であるということでしょう。日本では、好きなものに対して忍耐は必要ないと言われます。この愛というのは、心を震わせるような愛ではなく、樹木が健康で美しくあるように助けてあげられる具体的な行動を取るということです。もしこのようなことができるなら、そして生きた樹木と共に創造的に舞うことに心から興味があるなら、本物の盆栽家になれると思います。スプートニク:あなたは盆栽に加えて、庭木をされていますが、これは盆栽とはどのような関係があるのですか?ダルセンコフさん:盆栽をやっているうちに、わたしの庭の木がとても大きく育ち、枝も葉も増えて、乱雑になってきたので、なんとかしなければと思ったのです。それで木を剪定して、盆栽を作ろうと思ったのです。切った枝は小さいですが、それでもいいじゃないかと。なぜなら盆栽のイメージというのは、古くて大きな木を単にサイズを小さくしたものだからです。それ以外の美的アプローチの原則は同じです。そこで大きな庭の木の剪定をやっている人たちのところに勉強させてもらいに行き、盆栽家としての技を大きな木にも適用するようになったのです。それから盆栽と庭木は、美しい樹木という概念の一部なのだと理解するようになったのです。盆栽は、街の中、庭、公園などで、人間の周りに生えている木々を美しくするという仕事を発展させるためのきっかけだと思います。そして盆栽は、土の上に生育するあらゆる木々を人々が美しくするための第一段階だと思います。これは我が国においてとても重要なことです。なぜなら日本では皆そうしているからです。しかしロシアではよくて、枝を切ったり、木の幹を裸のまま放置したりするだけで、それらの木々は早かれ遅かれ枯れてしまうのです。ですからわたしにとって盆栽は、そうしたより良い方向に進んでいくためにも重要なものなのです。盆栽芸術や庭木というものが日本でそのように指導されているのかを見たことがあります。弟子はただ職人が見守る中で作業をするのです。わたしたちの課題は、我が国をより良い方向に向かわせるため、できるだけ多くの生徒を育てることなのです。
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【人物】ロシアの盆栽職人 小さな木は大きな喜び
2023年6月2日, 21:10 (更新: 2023年6月5日, 16:59) 彼は「ロシアスタイルの盆栽」の創設者と呼ばれている。定期的に盆栽展に出品し、国際大会で何度も賞を受賞している。また盆栽についての書籍を出版し、テレビ番組に出演して盆栽を紹介し、毎年、妻とともに、オンライン、オフラインの両方で、盆栽と庭木のレッスンを行っている。しかし、彼の夢は、ミニチュアの樹木を作り、美を表現することよりも、はるかに大きなものとなっている。「スプートニク」は、ロシアで認められた盆栽家の1人、アンドレイ・ダルセンコフさんにインタビューを行った。
スプートニク:インターネットのおかげで、あなたの動画レッスンやあなたのブランド「盆栽のABC」、「樹木の建築家」はロシアでますます人気を博しています。モスクワ国際関係大学を卒業したあなたは、なぜ盆栽の道を歩むようになったのでしょうか?
ダルセンコフさん:わたしは1982年にモスクワ国際関係大学の経済学部を卒業し、外務省に10年勤務した後、世界銀行で14年働きました。しかし、学生のときから風景画に興味があり、画家のもとでレッスンを受け、20年ほど、風景画を描いていました。それから祖父が昔、買ったダーチャでは、いつも植物に囲まれていました。それに母親のところにもいつも観葉植物が飾られていました。そしてあるとき、風景画と植物が一つになったのです。というのも、盆栽というのは、小さな鉢の中に自然を再現するものだからです。
1990年代の半ば、モスクワで盆栽展があるという宣伝を目にしました。それはソフホーズの「クラスナヤ・ニヴァ」がやっていたものでした。彼らは、1970年代に日本の大使夫人がソ連政府に贈った盆栽のコレクションを持っていました。この盆栽展で、樹木が鉢の中で育っているということに驚きました。それでイギリス人が書いた盆栽の本を買い、そこからすべてが始まりました。
日本からいろいろな植物を持ち帰ってきましたが、わたしの経験不足と知識のなさから、盆栽の木はロシアの気候ではうまく育たず、そのうちの多くが枯れてしまいました。ロシアは夏が短く、太陽と暖かさが足りないのです。それで、ここでは、ロシアの気候に合ったロシアの木を使わなければならないという結論に至りました。盆栽をやるようになってかれこれ30年になりますが、わたしの盆栽園には300ほどの作品があります。
スプートニク:つまり、ロシアのどんな木でも盆栽ができる、そしてすべての盆栽のやり方というのはどれも共通したものだということですか?
ダルセンコフさん:基本的に盆栽にはほぼどんな木でも使えます。わたしはモスクワ郊外だけでなく、北カフカス、ヒビヌィ山脈、カレリアなどさまざまな場所から植物を持ち帰っています。これは気候などの原因によってうまく生育できなかった小さな木です。自然界では、厳しい条件のために、木がうまく育たず、比較的小さなままになるということがあるのです。こうした木には盆栽として生まれ変わる可能性があります。また盆栽用の木は、盆栽園や園芸センターでも買えるようになりました。これらは、やはり、より育ちが良いのです。自然から木を持ってこようとすると、根が大きすぎて、それをすべて持ち帰ることはできないため、根付かないことが多いです。
手入れについて言えば、どの木にも基本的に必要なのは、太陽、水、酸素、二酸化炭素、そして光合成に必要な元素です。大切なことは、南方の樹木は冬、寒い時期というものを知らないので、休眠しませんが、北方の樹木は寒い時期には休むことが必要だという違いがあることです。秋になると、木々は葉を落とし、果樹は果実を実らせます。そして春に目覚めるのです。すべては大きな木々と同じです。ただサイズが小さいだけです。そしてわたしが皆さんに伝えたいもっとも大切なことは、盆栽は屋外の植物だということです。室内に入れることがあるとすれば、それはごく稀なことであり、しかも短時間です。樹木にとっては屋外が理想的な環境だからです。
© Alexaner Dvoriankin盆栽
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スプートニク:盆栽がロシアで初めて紹介されたのはいつかご存じですか?
ダルセンコフさん:盆栽が芸術としてこの国で紹介されたのは1970年代ですが、当時はかなり限定的なものでした。それが大々的に発展するようになったのは、インターネットの普及に伴い、情報が手に入るようになってからです。それから10〜15年後、盆栽はお店でも売られるようになり、プレゼントとして贈るのが流行するようになりました。しかし、それらの木々の大部分は枯れてしまったのではないでしょうか。なぜなら、誰も盆栽の手入れについてよく知らず、店員のアドバイスも矛盾したものだったからです。
現在、ロシアの大都市では、盆栽はかなり一般的なものになりました。とはいえ、どの家にも盆栽があるというほど普及することはないでしょう。それでも、郊外の一軒家に住んでいる人にとって、盆栽はとても魅力的なものになっています。一軒家には庭があり、人々は庭の木々を美しく保ちたいと思うからです。全体の雰囲気(景色)に溶け込んでいなければならない庭の木と違い、盆栽は文脈を必要とせず、独立したものです。これは、英国の庭、ロシアの庭、日本庭園など、どんなスタイルの庭にも調和する芸術作品なのです。わたしはそうした人々にとても期待しています。なぜなら、彼らはもう木々の美しさに魅了されていて、盆栽も、そのさらなる発展に向けた自然な一歩になるからです。
スプートニク:ですが、展示会や写真で盆栽を見ていると、こんな素晴らしい奇跡的な作品は誰にでも作れるものではないと感じます。盆栽はエリート芸術だと思いますか?
ダルセンコフさん:そのような神話は、自分自身を特別なものだと信じている盆栽家たちから生まれたものだと思います。しかし盆栽は特別なものではありませんし、選ばれた者のための芸術でもありません。盆栽には、伝統的な芸術文化のような厳しい基準はないのです。自分の木(盆栽)が好きなら、よく育ちます。そしてそれは、芸術作品でなくても、とても素晴らしいものであり、見ていて喜ばしい気持ちになるものです。それに有名な盆栽家の木村正彦や日本人やそれ以外の有名な盆栽家と自分を比べる必要などありません。ですから、わたしは盆栽というものはとても民主的なものだと感じています。
今ちょうど、わたしたちは、リアリティ・ショーを撮影しています。安く手に入れた3本の木でどのようにして盆栽を作るのかを紹介しています。この動画はとても人気があります。なぜなら、最初から最後まで、全工程を目にすることができるからです。そこには何の謎も秘密もありません。ただほんの少し、自分が創造者としての役割を果たしているのだというような神々しい感覚のようなものが生まれることはあります。
しかしもちろん、そうなるためには研鑽を積まなければなりません。わたしは今も学び続けていますし、人々にも指導を続けたいと思っています。というのも、彼らが少しずつ盆栽についてよく理解できるようになってきたとき、何ものにも比較しがたい喜びを感じているのを目にするからです。盆栽でお金を稼いでいるのか、あるいは自分の趣味のためにやっているのかは重要ではありません。いずれにせよ、彼らの人生は良い方向に向かっていきます。それは盆栽をやっているときに、樹木の命が変わっていき、より健康でより美しくなっていくのを見ているのと同じ感覚です。自然界では、樹木は他の木々と競い合いながら、生き抜かなければなりませんが、自分を愛してくれる、自分がよく知る人の手の中で、この木は特権的な状態に置かれるのです。
スプートニク:どんな人があなたのレッスンを受けに来るのですか?また本物の盆栽家になるには、どのような素質が必要だと思いますか?
ダルセンコフさん:レッスンに来る人たちの中で多いのは、会計士や弁護士など、ルーティーンワークをしている人です。モノトーンな毎日に少し疲弊して、自分の専門は捨てずに、何か創造的なことができないかと模索している人々です。もっとも、美しい木を創造する道に完全に移行して、とても満足しているという人もいます。そして驚くべきことに、彼らは、元の職場で高い地位についていたときよりも多くのお金を稼いでいます。というのも、市場では庭木を扱う能力というのはとても需要があるからです。
どんな性質の人が盆栽に向いているかというと、忍耐力は必要ありませんが、命あるすべてのものに対して愛情を注ぐことができる人であるということでしょう。日本では、好きなものに対して忍耐は必要ないと言われます。この愛というのは、心を震わせるような愛ではなく、樹木が健康で美しくあるように助けてあげられる具体的な行動を取るということです。もしこのようなことができるなら、そして生きた樹木と共に創造的に舞うことに心から興味があるなら、本物の盆栽家になれると思います。
スプートニク:あなたは盆栽に加えて、庭木をされていますが、これは盆栽とはどのような関係があるのですか?
ダルセンコフさん:盆栽をやっているうちに、わたしの庭の木がとても大きく育ち、枝も葉も増えて、乱雑になってきたので、なんとかしなければと思ったのです。それで木を剪定して、盆栽を作ろうと思ったのです。切った枝は小さいですが、それでもいいじゃないかと。なぜなら盆栽のイメージというのは、古くて大きな木を単にサイズを小さくしたものだからです。それ以外の美的アプローチの原則は同じです。そこで大きな庭の木の剪定をやっている人たちのところに勉強させてもらいに行き、盆栽家としての技を大きな木にも適用するようになったのです。それから盆栽と庭木は、美しい樹木という概念の一部なのだと理解するようになったのです。盆栽は、街の中、庭、公園などで、人間の周りに生えている木々を美しくするという仕事を発展させるためのきっかけだと思います。そして盆栽は、土の上に生育するあらゆる木々を人々が美しくするための第一段階だと思います。
これは我が国においてとても重要なことです。なぜなら日本では皆そうしているからです。しかしロシアではよくて、枝を切ったり、木の幹を裸のまま放置したりするだけで、それらの木々は早かれ遅かれ枯れてしまうのです。ですからわたしにとって盆栽は、そうしたより良い方向に進んでいくためにも重要なものなのです。盆栽芸術や庭木というものが日本でそのように指導されているのかを見たことがあります。弟子はただ職人が見守る中で作業をするのです。わたしたちの課題は、我が国をより良い方向に向かわせるため、できるだけ多くの生徒を育てることなのです。