米、自国都市への核攻撃リスクを評価

米議会の国家防衛戦略委員会は最近、懸念を引き起こす結論に至った。それは、米国が世界での軍事的優位を失うリスクがあるというもの。大規模軍事衝突が起きれば米軍は甚大な被害を被るおそれがある。米保健福祉省、米国立衛生研究所(NIH)、米国立がん研究所は先に、核攻撃を受けた場合の周囲の放射能汚染の影響を研究するよう依頼した。詳細はスプートニクの記事で。
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  • 大気へ回帰

1963年、冷戦の対立国らは水中、空中、地上での数千の爆弾爆破に間に合った。研究者と軍は核兵器の強みと弱みを明らかにし、兵士を守る手段に関する重要な情報を手に入れた。核兵器の威力を示すことで、これらの実験は事実上、第3次世界大戦を防いだ。地球にもたらしたのは深刻であれ、幸いながら、修復可能な損害だった。

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元核実験場の多くは今に至るまで生活には適さない。例えば、マーシャル諸島の一部であるビキニ環礁は長きに渡り、米国防総省に原子爆弾と熱核爆弾の試験爆破に用いられていた。1954年3月1日にはここで水素爆弾を爆破するブラボー実験が実施された。米国の情報筋が強調したところ、これは米核実験史上最も「汚染の激しい」爆破となった。爆心地から縦550キロ以上、横100キロほどの範囲が汚染された。

風は迅速に放射性物質をばら撒いた。爆発から7時間半後には爆心地から240キロ離れたロンゲリック環礁でも放射線量の上昇が確認された。ロンゲリック環礁にいた米軍兵士28人が大量に放射線を浴び、緊急避難となった。放射性降下物は、ビキニ岩礁から170キロにいた日本の漁船「第五福竜丸」も覆った。船員は強く汚染され、放射線障害に苦しんだ。船の無線技士は実験から半年後に死去。日本と全世界で大規模な反戦デモを引き起こした。

ついに、1963年10月10日、ソ連、米国、英国が署名した部分的核実験禁止条約が発効。だがフランスと中国はそれぞれ1974年と1980年まで地上での核実験を続けた。署名国は一方、地下に潜った。地下核実験時代の始まりだ。法的に核実験を完全に禁止する包括的核実験禁止条約は1996年9月10日、国際連合で採択された。現在までに条約に署名していないのはインド、パキスタン、北朝鮮。北朝鮮は最後に核実験を行った国だ。2017年9月3日、北朝鮮は豊渓里核実験場で水爆実験を実施した。

  • 内部被曝

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核爆発の際の放射能汚染の被害を調べる研究は米国家調達政府サイトに公開された。専門家の見解では、米国には大気中に核爆弾が爆発した際の被ばく量を測定する効果的な手法が欠けている。

以前までの米国の研究者と軍の関心が主に、人のいない実験場で行う核実験、核実験の環境への影響と軍のための放射線防護手段の開発に集中していたとすると、大量破壊兵器の実験終了後はさらなる実験の必要性も失われた。

研究は「一連の鍵となる分野において、情報が完全に欠けているか、情報にアクセスできない。この研究を完了し、結果を公開できる専門家もいない。米国でこれが出来る人は1人か2人、そして彼らはとうに年金生活だ」とする。

最も研究が進んでいない分野の1つは、研究を依頼した保健福祉局らが述べるところ、人間が呼吸や食事とともに放射線粒子を体内に取り入れる際の被ばく線量の測定に使う手法だ。核爆弾が大都市上空で爆発した場合、放射性物質を多く含んだ雲が膨大な領域を覆う。直撃を逃れた地域でさえ淡水源は飲用に適さなくなる。大量の内部被曝リスクは、爆心地から遠く距離を置いていても十分に有り得る。

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大規模な放射能汚染の場合、救助隊は極めて困難な状況下で働くことを余儀なくされる。救助対象者の被ばく線量を最大限に迅速に特定する手法なしに、適宜救助を施すことは不可能だ。

なぜ米政府が今まさに、大気中で核爆発が起きた場合の影響を新たに調べる必要にかられたのか?これは何よりも米国人自身が関心を持っている。10月、ジョージタウン大学のマシュー・クレーニッヒ教授は生徒を対象に、毎年行う調査を行った。生きている間に核戦争が起きると考えるか、という質問だ。10年前に手を上げたのは2、3人だったが、この2年間で悲観的な生徒はおよそ60%に増えた。

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