リモノフはニジニ・ノヴゴロド州生まれ。その後、モスクワで作家や芸術家のサークルに加わる。地下出版で反体制的作品を発表。1974年に亡命、ほどなく自伝小説『おれはエージチカ』をフランスで発表し、注目を集めた。
リモノフの死に際し、ロシアでは多くの作家、政治家が哀悼の意を表した。
ゴーリキー記念文学大学のA・ワルラーモフ学長はリモノフを「輝かしく、風変わりで矛盾に満ちた作家」と評価、リモノフ自身の経歴そのものが「言葉ではなく、振る舞い、行動、発言によってつづられた素晴らしい芸術」とコメントした。
現代作家のZ・プリレーピンはフェイスブックにコメントを投稿、欧州の共通理念が崩壊する時代にリモノフが他界したのは象徴的と記した。コメントの中でリモノフを「オヤジ」と慕い、指導的存在を失った現代ロシアの作家たちを「孤児」と評した。
下院のP・トルストイ副議長は交流の深かったリモノフについて、SNSへの投稿で次のように哀悼の意を評した。
彼は政府が国民の運命に全く無関心だった当時、国民を守ろうと躍起だった。文学であれ、政治であれ、「規範」と化した規則に立ち向かった。その徹底した姿は我武者羅で向こう見ずだった。その努力が無駄ではなかったと信じたい。
2020年4月には青春時代や亡命時代の回想をつづった遺作『旅する老人』が出版される。その序文にリモノフは次のように記した。
いい出来だ。若いころ、こんな本に出会っていれば、人生の見方はもっと変わっていたように思う。生い茂った緑、ぎらつく動物の目、女の目に宿る、自由への憧れ。そんなものに気が付いていたかもしれない。
「もう一つのロシア」関係者によれば、リモノフの遺言により、葬儀は近親者のみの密葬で行われる。リモノフは享年77歳、死因はガンによる多臓器不全だった。
関連ニュース