ラブロフ氏は、2004年に実施されたウクライナ大統領選の結果が改ざんされているとして抗議運動(オレンジ革命)が起きたと述べた。当時の大統領選では、2回目の投票で「親ロシア派」のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ氏が過半数を獲得して当選したものの、同氏はその後に行われた「第3回目」の投票で「親欧米派」のヴィクトル・ユシチェンコ氏に大統領の座を譲らざるを得なかった。
演説でラブロフ氏は聴衆に次のように語った。
「欧米は何をしているのか?ポーランド、ドイツ、フランスなどの国々の首相や大統領がキーウ(キエフ)に赴き、ウクライナ当局に野党にもう一度チャンスを与えるよう、つまり憲法上ではできないものの、憲法裁判所の判断を仰いで第三回目の投票を行うようにとウクライナ政権に迫ったのだ。そこからすべてが始まった。オレンジ革命はウクライナの憲法を侵害し、2008年のブカレスト首脳会議ではウクライナとグルジア(ジョージア)がNATOの加盟行動計画に参加することになったが、これは何のためだったのか?ウクライナをロシア封じ込めの足場に変え、ロシアへの軍事的脅威を作り出したのだ。我々は自信を持ってこのことについて語ることができるのだ」
これよりも前、ラブロフ氏は欧州安全保障に関する記者会見で、西側諸国が発表したすべての声明が政治的宣言の枠組みの一部としてなされたにもかかわらず、これらの国々は平等で不可分の欧州の安全保障システムの構築を阻止する努力を長年続けてきたとの考えを示した。その際に同氏は、「そして今、我々はこの完全に近視眼的な誤った政策の成果を手に入れている」と述べている。
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