「初めて、自分のために着物を買うようになったのは、東洋博物館の日本展示室でボランティアのガイドとして働いていた頃です。その雰囲気に合わせようと思ったのです。わたしが日本文化に熱中していたときのことです。ロシアでは2014年に国際ショディエフ財団が開催した久保田一竹の着物展が開かれましたが、これはロシアで開かれた唯一の大規模な着物の展覧会でした。しかしそのとき展示されたのは、特定の時代を反映したものではなく、オリジナルの着物でした。最初はヨーロッパでの着物展のカタログを集めるようになりました。日本では着物は芸術品とされています。東京国立博物館では浮世絵や絵巻物、屏風などと一緒に、着物の展示が常設されています。おそらく、着物というものが単なる合理的なものではなく、芸術品であると認識したことが、コレクションを始めたきっかけだと思います。オークションで入札し、購入で失敗しないためには知識が必要です。もちろん、すぐに知識が得られるわけではありません。ときと共に経験を積んでいきました。カタログ、そして様々な博物館で数千の着物を目にし、アンティーク着物が売られているアムステルダムに行きました。その後、日本に行き、そこで古物商や専門家、そして日本に35年住んでいる有名な着物研究家のシーラ・クリフと知り合いました。もちろん、大正時代の着物では世界一のコレクションを持つ池田重子コレクションも目にしました。着物の専門家になるには、絵画、グラフィック、日本の演劇についての幅広い知識が必要です。つまり学術的なアプローチをすることが重要です。そうでなければ着物研究はできません。なぜなら、すべての着物が文化的、歴史的、芸術的、コレクション的な意味があるわけではないからです。数千点の着物を持っていても、物質的、精神的文化にとって貴重な品に値するような特徴を持つものが1点もないということもあり得るのです」
「大正時代は期間としては短かったですが、着物へのアプローチを完全に変えた独特の時代でした。ヨーロッパでは、第一次世界大戦後、女性のファッションに革命が起きました。ショートヘアが流行り、洋服のデザインも変わり、女性も足を露出するようになりました。同じようなことが、明治の着物から大正の着物の変化にも見られました。着物の歴史という観点から見ると、劇的な変化ではありませんでした。着物のスタイルにおいて急激な変化が見られたのは元禄時代です。そのとき元禄模様というものが生まれました。大正文化の時代は、大正時代そのものよりも長く、1940年代まで続きました。なぜこの時代が好きかというと、非常に心がこもっていて、商業的な部分がないからです。大正時代ほど、日本の着物が美しく、多くの意味を持っていた時代は他にありません。そこにあったのは芸術の自由でした。たとえば、着物に割れた植木鉢を描きたいと思えば、描くことができました。流派もなく、基準もなく、芸術家のとめどない創造力を押さえつけるものがなかったのです。柄の構成という意味では完璧ではなかったかもしれませんが、しかしその作品には心がこもっています」