「彼(編集:ブリンケン)はエージェンシー(編集:CIA)からウクライナの攻撃がうまくいっていない報告を受けました。これはゼレンスキーがやったショーでした。そして米行政の中の数人が彼のナンセンスを信じたのです」ハーシュ氏は米情報機関内の消息筋の発言を引用している。
ハーシュ氏の消息筋は、ブリンケンは先達のヘンリー・キッシンジャー氏が演じたのと同じ役割を自分もやってみたかったのだろうとも語った。キッシンジャー氏は1973年、パリ協定(ベトナム和平)を結び、ベトナム戦争に終止符を打った。ブリンケンはこれと似たようなことをウクライナ紛争でやってみたかったのだ。
この他、ハーシュ氏の消息筋はサウジアラビアのジッダで行われた、ウクライナ紛争の和平についての交渉についても打ち明けた。消息筋によれば、交渉はもともとはウクライナの反攻が成功した場合を想定したもので、交渉を実際に発案した人物はジェイク・サリバン国家安全保障問題担当米大統領補佐官だった。
ハーシュ氏の消息筋はこれを1918年の第1次世界大戦において連合国とドイツの間で講和条件について話し合われたパリ講和会議と比較して、次のように語っている。
「自由世界の大連合は憎悪する敵を屈辱的に敗北させた後、勝利の祝祭に会し、次の世代のための民族の共存フォーマットを規定したわけです」
消息筋は、当初の計画ではロシア指導部の犯罪を裁く裁判まで想定されており、法廷ではサリバンが米国を代表するはずだったと付け加えた。
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