「1998年、当館が開館してまだ2年しか経っていなかった頃、日本大使館の代表が、橋本元首相のモスクワ訪問を記念して、首相の写真展を開催してほしいという依頼で、私のもとを訪れました。この写真展には、橋本元首相の夫人と、ロシアのボリス・エリツィン元大統領も訪れる予定だとのことでした。正直なところ、私は当時、それどころではありませんでした。ビエンナーレ(美術展覧会)の準備で忙しかったからです。また、まだ自分たちの展示室もなく、首相の写真展はいいけれど、美術館が展示するものではないとも思っていました。
私は断ろうとしましたが、彼らはどうしてもと引きませんでした。階段のない美術館を探さなければなりませんでした。エリツィン元大統領は心臓の手術をしたばかりで、階段で上がることができなかったからです。マネージ・ホール、トレチャコフ・ギャラリー......適当な展示ホールはありましたが、何らかのコンセプトがなければ断られるだろうと分かっていました。 日本の人たちは私に言いました。『何かいい方法考えてください』と。私は、橋本元首相の写真は普通の旅行写真であることに気付きました。つまり風景です。
そして、日本では19世紀後半から風景写真が撮影されており、私は日本の手彩色写真について知っていました。そのようなカラー化された写真は、まだ広まっていませんでしたが、軍や貿易ルート、観光を通してロシアに入ってきました。フランスにも古い日本の写真がたくさんありました。私は、日本の古い写真の貯蔵品の一部をロシアのコレクターから、また別の一部をフランスのコレクターから、大したお金もかけずに買い集めました。 というのも、当時、これらの写真は観光客向けの大量生産品で、まともに取り扱われていなかったからです。だから、価格も価値もありませんでした。 ロシアでは、日本の古写真は曾祖父母の遺品のようなものだったのです」
「それが功を奏して、素晴らしい展覧会を開催することができました。大手メディアも取材に来ました。当時は50枚ほどでしたが、今では300枚ほどの写真を所蔵しています。この写真展は、異なる時代の交流のようなもので、橋本元首相の写真は青で、日本の古写真はピンクで2種類のカタログを作りました。
これは橋本元首相夫人の好きな色だと大使館から知らされていました。 そしてその少し前に、これらの写真を撮影した名人たちの鑑定、学術的な研究を私たちは始めていました。その結果、いくつかの写真は日本写真の古典であることが判明しました。どのような被写体が好まれ、誰が撮影し、どのような彩色を施したのか、非常に興味深い資料です。私たちは日本の美術館から相談を受けるようになり、それをもとに私たちは美術館と大きな友好関係を築くことができました。このエピソードが、将来に向けてコレクションを充実させるきっかけとなりました。そして、そのような写真を探し始め、まとめて購入しました。そして今、私たちは自分たちのところでも、地方でも、この資料を使って多くの仕事をしています。ですから、日本人の粘り強さには感謝しています」
「ギャラリーの大ホールに展示されている写真は92点です。これはデジタルコピーです。 オリジナルは、マルチメディア・アート・ミュージアム(MAMM)に保管されています。光に非常に弱いアルブミン印刷(アルブミンプリント)という技法で作られているため、滅多に展示されません。展覧会の開催に先立ち、モスクワから学芸員が訪れて、写真の吊り方を含め、プロフェッショナルとしての高い基準を設定しました。そして、各美術館はこの展覧会の開催の承認を得ると、独自の展示品でそれを補い、独自の環境を作ろうとします。
私たちのところには日本の美術品や工芸品がないので、生け花で展覧会をカバーするのが一番だと考えました。この目的のために、有名な生け花師範であるウラーナ・クーラールさんを招待しました。彼女の生け花は、会場に流れる日本古来の音楽とともに、19世紀末から20世紀初頭の日本の世界に浸ることのできるユニークな雰囲気を作り出しています。 来場者の声を集めた感想ノートには、この展覧会は素晴らしく調和がとれていて、とても有益だと書かれています。実際、この展覧会は、日本が世界に開かれ、ヨーロッパの人たちがこの神秘的な国を訪れ、目にするものすべてを写真に収め始めた当時の日本人の生活の百科事典なのです。そのため、この写真展で紹介される写真は、日本人とヨーロッパの人たちが撮影したものです。 それらは風景であり、人生の物語であり、偶然に捉えられた光景であり、当時の人々の日常生活や伝統を反映し演出された写真です」